2004バレンタイン

貴方と薔薇とチョコレートと

2004.2.14UP



 啓太は自分の部屋のあまりの様変わりに呆然としていた。
「・・・こんなの・・・俺の部屋じゃない」
 つぶやかれた言葉を聞くものは誰もいなかったが、何かを口にしなければおさまらない事もある。
 啓太の驚愕の理由は・・・意を決して出かけて帰ってきてみると、普段は簡素な普通の男子生徒の寮の自室が、花ときれいに包装された箱で溢れかえっていたのだ。
「なんで?」
 積まれている山の一番上から一つ包みを取り上げ、それについているメッセージカードをひらく。
『伊藤啓太様・好きです。返事をお待ちしてます。・・・・2年23号室Bより』
「・・・誰だよ、コレ。・・・つか、ありえない」
 一言呟いて机の上にそっと置き、別の包みに手をのばす。
『伊藤啓太様・転校されてから自分の気持ちに気がつきました。お返事まってますvA子』
「・・・憶えてないよ・・・そういう事はもっと早く言って欲しかったような・・・」
 そう。世間では今日はバレンタインデーなのだ。日頃秘めていた思いを、ここぞとばかりに告白をする日。メーカーの策略にのって、部屋の中はチョコレートの甘い香りが充満していた。
「今まで、こんな事ってなかったのに」
 16年の人生の中で、景品は山のように送られてきていた啓太だったが、バレンタインデーにこれほど大量の物をもらったのは初めてで、どう処理していいか判らず、途方に暮れていた。
 啓太が愕然とした理由は、他にもあった。
 送られてきた包みは、どれもこれも、今まで雑誌でしか見た事のないような立派な包装で、開けずともその存在を楽しめるようになっていたのである。外出から帰ってきたばかりで、肩にかけっぱなしにしていたバックの中を、そっと覗いてみる。
「・・・こんなの、誰も送ってきてないよ」
 バックの中にある物は、当然チョコレートで。
 世間一般の恋愛をしているとは言いがたい啓太は、2週間悩んだ挙げ句、意を決して恋人の為に買ってきた物だった。ただそれは、どこそこの有名な物という訳ではなく、デパートのバレンタインコーナーに並んでいるような、包装紙だけを変えた普通の物で、渡すか渡さないかの根本的な所で悩み抜いていた啓太には、『チョコレートを買う』以上の事は考え付かなかったのである。
「どうしよう・・・こんなの渡しても、喜ばないよな」
 心行くまで自分の為に用意されていたプレゼントの山と、自分が用意したプレゼントを交互に見つめた後、部屋の壁に掛かっている時計に視線を移す。
「もう4時半だよ。今からもう一度出かけると、約束の時間には間に合わないし・・・どうしよう」
 慣れていない事とは言え、あまりの自分の不甲斐なさに啓太の瞳に涙が浮かぶ。その時、まるでタイミングを見計らっていたかのように、ジーンズのポケットにしまわれていた携帯電話が、着信を告げる振動をおこした。啓太は、涙声にならないように、慎重に通話ボタンを押して小さなスピーカーに向かって返事をした。
「・・・はい」
「啓太か?俺だけど、今用事が済んだんだ。今から寮に戻るけど、出かける支度、出来てるか?」
 啓太の鬱々とした気分とは裏腹の和希の明るい声が耳に痛い。心の動揺そのままに、思わず啓太は黙り込んでしまう。
「・・・啓太?」
 電話の向こうの沈黙に、和希はそれまでのテンションを少し下げ、様子を伺うように問いかけた。
「なんか都合悪くなったのか?今日は出かけるのやめるか?体調とか悪くなったんなら、無理することないんだぞ?」
「・・・ううん、そんなんじゃない。大丈夫」
 こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えて、自分を気遣っているのがありありと判る和希の言葉に、短く事の了承を告げる。
「・・・ホントに平気なのか?」
「うん。じゃあ俺、和希が帰ってくるまで、部屋で待ってるよ」
 用件のみで手短に通話を切り、再び啓太は部屋の中に山積みされているプレゼントと向き合った。


 電話から一時間後、啓太の部屋のドアがノックされた。
「開いてるよ」
 相手を確認することなく、ドアの外の人物に向かって声をかける。そしてドアの外にいた和希も、何時もの事といった風情で何の躊躇もなくそのドアを開けた。
「お待たせ・・・って、なんだ!?」
 普段見なれているはずの簡素な部屋に溢れかえっている荷物の山に、和希は思わず大声を上げる。
「なんか、バレンタインのプレゼントらしいよ」
 山の中央をなんとかこじ開け、自分のスペースを確保しながら、啓太は包装紙と格闘し続けている。
「プレゼントらしいって・・・コレ、全部か?」
「それ以外でこんなにくれないだろ。誕生日はまだ先だしね」
「・・・さっきの沈黙の理由はコレか」
 和希の呟きに反応を返すことなく、啓太は黙々と手を動かし続けた。そんな啓太の動向を気にすることなく、和希は大きなため息をつきながら、きらびやかな包装を施されている箱の群れを見渡す。
「これ、この学校の奴からだけじゃないだろ」
 手近にあった箱を一つ手に取り、全面を見回しながら和希はつぶやいた。
「うん。なんか、前の学校の女の子とかからも届いてるみたい」
「ふ〜ん・・・」
 曖昧な和希の合図値は、その声色で心情を物語っていたが、それにも啓太は反応を返すことはない。そんな啓太に、和希も苛つきを隠せなくなっていく。
「啓太、結局前からモテてたんじゃないか」
 和希は己の心情を取り繕うことなく、強張った声色で会話を投げかける。
「・・・この学校のネームバリューのおかげじゃない?前から好きだったんじゃなくて『BL学園』の彼氏が欲しいだけだよ、きっと」
 あくまでも素っ気なく返答を続ける啓太に、和希の苛つきは最高潮に達した。
「・・・で、今日啓太は、この荷物の山と格闘するために俺との約束はキャンセルって事だよな?」
 具体的な予定が和希の口から上ったことによって、和希が部屋に入って来てから一度も体勢を変えなかった啓太の肩がぴくりと震えた。
「そうだよなぁ。こんなんじゃ寝ることも出来ないしな」
「・・・和希がそれでいいなら、俺もそれでいい」
 嫌みたっぷりに紡ぎ出された和希の台詞に、啓太は顔を背けながら同意の合図値を打つ。それは普段の態度とはかけ離れていたが、万人が逃れることの出来ない嫉妬と言う感情と戦っている和希に判るわけもなく、恋人同士のバレンタインは険悪な空気の中で終わりを告げるかに見えた。
「まあ、啓太には俺が渡さなくてもコレだけの人が気持ちを渡してくれるんだから、俺なんて論外だって判ったよ。そうだよな。こんな年上の、しかもいつも一緒に居られる確約のない俺よりも、同年代の、いつも居たい時に一緒に居られる奴の方がいいよな。選び放題な訳だしね」
 和希の台詞に、啓太の肩が再び震える。
「・・・そんなこと言うなら、和希の方こそ沢山貰ってるんだろ?しかも、俺みたいに男からが主なんじゃなくて、きれいな女の人から山ほど・・・それこそ俺なんて、女ですらないんだから論外だろ。それに、貰うのだって俺のみたいにセンスのかけらもないのじゃなくて・・・」
 言葉の途中で、啓太はハッと口を噤んだ。だがそれは、勿論後の祭りで。啓太の言葉の最後の部分を耳にした和希は、唖然とした顔で啓太を眺める。
「・・・啓太のって・・・用意しててくれたのか?」
 和希の言葉に、それまで我慢していた涙が一気に溢れ出た。
「・・・用意しようと思ったんだ。そう思って今日、駅前まで行って、バレンタインコーナーで選んで、帰ってきたら部屋の中、こんなになってて・・・俺に来るプレゼントですらこんなに綺麗なのに・・・俺、選びに行く勇気ばっかり考えて、和希に似合うかとか考えられなくてっ」
 最後は殆ど嗚咽になってしまった啓太の言葉に、和希は自分の言葉に後悔を覚えた。プレゼントの山に埋もれながら、洋服の袖で必死に涙を拭う啓太を、背中から抱きしめる。
「・・・ごめん。啓太がそんな事気に病んでたなんて気がつかなくて」
 和希の真摯な謝罪に、啓太は首を振って否定する。
「違うよ。和希が悪いんじゃない。俺がっ和希の事、本気で考えられなかったからっ」
 和希の腕を振払う事もせず、必死に涙を拭い続ける啓太に、和希は優しく囁く。
「選びに行ってくれただけで、俺は感激だよ。啓太が俺の事、思ってくれてる証だからね」
「でもっ・・・」
 自分の癖の強い、赤茶色の髪の毛を愛おしげに梳く和希の手に、啓太の涙は留まるところを知らないかのように流れを強くする。
「啓太がくれるなら、俺にとってこの世で最高の物だよ」
「和希ぃっ」
 小さな子供をあやすような、その昔からかわらない仕草に、啓太は緊張の糸を切って和希の胸に縋付いた。




  夜、啓太と和希は、和希のマンションの自室に移動した。理由は、啓太の部屋は荷物に占拠され、とても二人でゆっくりできる状態ではなかった事と、実は和希の部屋も似たような事になっていた為である。和希の部屋を見た啓太は、自分の事を棚に上げ、思いっきり頬を膨らませた。そんな啓太に和希は冷や汗をたらしながら『モテル男はお互いにつらいよな』と、部屋の中に入る事なく、素早くドアを閉めたのは言うまでもない。
「啓太、コレ俺からだけど、受け取ってもらえるかな」
 部屋に入って啓太をリビングのソファに座らせると、和希はリビングに繋がる部屋の一つから、細長い箱を手に出て来て啓太の傍に座った。そんな和希の行動に、啓太はまばたきを繰り返しながら、箱と和希を見比べ続ける。
「なんで和希が?」
「なんでって・・・別に俺たちの場合、どっちからどうって決まってる訳じゃないだろ。それに、欧米じゃバレンタインって男、女どっちからって決まってるものじゃないし・・・と言うより、どちらかと言うと男から女への方がダントツで多いんだけどね」
 啓太の驚きに和希は苦笑しながら答えた。
「じゃあ、和希は俺の事、女扱いしてるって事か?」
 和希の言葉に、啓太はムッと眉を寄せる。
「まさか。啓太を女として見るのはかなり無理があるだろ。・・・バレンタインの基本概念に乗っ取っただけなんだけど、受け取ってもらえないのか?」
 表面的なものに捕われがちの啓太に根本的な事を説明して、和希は箱を差し出す。啓太は、少し頬を赤らめながらおずおずと差し出された箱を受け取った。
「なに?これ」
「基本中の基本な物だけど・・・開けてみれば判るよ」
 受け取った箱をひざの上に乗せ、その細長い形状と軽さに、啓太は不思議そうに包装を解いていく。中から出て来たのは、見た事もない色のバラが1本。
「基本って感じじゃないよ・・・すごい」
 その色の深さに、啓太は感嘆の声を漏らす。
「コレ、いろんな色が混ざってるように見えるし・・・見た事ないよ、こんな色のバラ」
 手に取って眺めては感極まったような声を上げる啓太を、目を細めて和希は眺める。
「ホントはもっと別の物が良いかとも思ったんだけど・・・俺にはこんなのしか思いつかなくてさ」
 照れながら説明する和希に、啓太はうっとりと頭をもたせかけた。
「コレがいい。アリガト、和希」
「で、啓太が選んで来てくれたのは、俺は貰えないの?」
 和希の言葉に、啓太は瞬時に顔を赤くする。
「・・・こんなの貰った後に俺のなんて・・・選び直して来ちゃ駄目かな」
「駄目。っていうか、それがいいよ、俺は」
 和希の肩に寄りかかりながら、少し膨らませた頬を染めてなおも渋る啓太の顔を覗き込みながら、和希は努めて優しく囁く。暫くの無言の押し問答の後、啓太は渋々体を起こして、自分の持って来た鞄の中から小さな箱を取り出して和希に差し出した。
「・・・ホント、こんなんでごめん」
「何言ってるんだよ。嬉しいよ。有難う、啓太」
 差し出された、この時期どこにでもあるような箱を、極上の笑みで和希は受け取る。そのまま、包装紙を丁寧に剥がして箱を開けた。箱の中にはハート形のチョコレートが6つ、整然と並んでいた。
「なんだ、すごくかわいいじゃないか。啓太があんまり渋るからどんな楽しい物が出てくるかとちょっと期待してたのに」
 心底嬉しいそうな和希の笑みに、啓太は恥ずかしそうに視線を反らせた。
「そんなの、この時期どこにでもあるじゃないか」
「そうなのか?俺は見た事なかったけど」
 和希の言葉に、啓太はふっと視線を戻す。
「・・・和希、こういうチョコ、貰った事ないのか?」
「こういうって、バレンタインにってこと?」
 噛み合ない会話に、啓太はピンと思い付いた。
(そうか・・・こんな庶民的な物、今まで和希が貰ってる訳ないんだ)
 そこに思考が行き着くと、それまでの悩みはどこかへ行ってしまい、啓太はいきなり吹き出した。
「け・啓太?」
 突然の啓太の馬鹿笑いに、和希は困惑して啓太を見つめる。
「なんか俺、変な事言ったか?」
 普段の立場は逆転し、なおも笑い続ける啓太に和希は狼狽えた声で問いかけた。
「ご・ごめん!和希の所為じゃ・・・そうだよな、和希だもんなぁ」
 啓太の意味不明な言葉に、和希は啓太を見つめ続ける事しか出来ずに固まっている。そんな和希に、啓太は笑いで目に溜まった涙を拭いながら再び体を預けた。
「いやもうホント、俺、和希とつき合ってて良かったよ」
「なんだよソレ、どう言う意味で言ってるんだ?」
 憮然とした顔で返答する和希に、啓太は嬉しそうに体を擦り付ける。
「お互い、知らない世界を覗けるだろ?俺はバレンタインにこんなバラを貰えるなんて思っても見なかったし、和希はこんなハート形のチョコを送られるなんて想像できなかった訳だしさ」
「・・・チョコレートが日本の一般的なバレンタインのプレゼントってことはしってたぞ?」
 啓太の言葉に納得を示しきれない和希は、表情を変えずに答える。
「でも、よくあるバレンタインチョコの形がハートだってことは知らなかったろ」
「・・・よくある形なのか?」
「うん。思いっきりよくある形だよ。今日見て来た物の中には、他に動物の形のとかもあったけどね」
「動物・・・」
 今までの恥じ入る様子から一転して、弾んだ声で話す啓太に和希は安堵しながらも、興味深く啓太の話に耳を傾ける。
「明日寮に帰ったら、俺、和希がもらったプレゼント見てみたい!」
「じゃあ、俺にも啓太が貰ったプレゼント、見せてくれるか?」
 視線が合うと、どちらからともなくクスクスと笑いが溢れた。
「でもその前に」
 和希は啓太から受け取ったチョコレートを啓太の前に差し出す。
「・・・なに?」
 和希の行動の意味を読み取れず、啓太は目の前に突き出されたチョコレートと和希の顔を見比べる。
「このチョコレートも嬉しいけど、もひとつおまけに食べさせてくれたら嬉しいな」
 微笑む和希とは対照的に、啓太は顔を朱色に染めながらも眉を寄せた。
「そんな恥ずかしい事、笑顔でさらりと言うなよ」
「恥ずかしいか?」
「恥ずかしいよっ」
 会話の後にも変わらずに差し出されているチョコレートの箱に、啓太はため息をつきながら手を付ける。
「あ、『あーん』っていう言葉付きだと・・・」
「いい加減にしろ」
 和希の更なる要求は、言葉半ばにして啓太に却下される。『そのくらいいいじゃないか』とぶつぶつ言い募る和希の言葉を、啓太は聞こえない振りをして、ハート形のチョコレートを一粒、和希の口元に運んだ。チョコレートはそのまま、するりと和希の口中に滑り込む。
「おいしいよ、啓太」
 とろけそうな笑顔で、和希は啓太の耳元に囁く。
「・・・普通だろ?」
 照れも手伝って、啓太はは素っ気ないものになった。
「じゃあ、味見だ」
 言葉と共に顔を近付けて、和希は啓太の唇を塞ぐ。
 程なく滑り込んで来た和希の舌は当然甘いチョコレートの味で。啓太はチョコレートの香りと甘さに酔った様に、普段よりも深く舌を絡めた。
「な?おいしいだろ?」
 唇が唾液の糸を引きながら離れると、和希は先ほどの自分の意見の同意を求める。
「・・・和希、やる事なす事ベタだよ」
 キスで火を灯した様な濡れた瞳と朱色の頬で、相変わらず素っ気ない啓太の返事に和希はくすりと笑い、ゆっくりと啓太の体ごとソファに倒れ込んだ。
「こんな日にベタな事して、ベタなプレゼント送り合ったんだから、とことんベタなのもいいだろ?」
 くすくすと楽しそうに笑う和希に感化されたように、啓太も笑みを浮かべた。
「Happy valentine 啓太」
「・・・Happy valentine 和希」
 傍に置かれたチョコレートとバラの芳香が部屋に響く吐息を演出して、バレンタインの夜の二人の心を、更に甘く溶かしていった───

 

 

 

END


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