カーテンの隙間から差し込む強烈な光で意識が浮上する感覚。
いつも通りの朝の始まり。
だけど今日は少し特別だ。
光とともに肩口をくすぐる少し癖のある髪が、俺の気分をも浮上させる。
「泊まりに来ないか?」
自分の所有のマンションの一室に誘ったのは昨日の夕方。
10年以上の時を経て、やっと恋人として付き合いはじめた俺達に時間は味方してくれなかった。
日々舞い込む仕事。
学生の本分の勉強。
その合間を縫っての友人達との付き合い。
二人きりの時間など取れるはずも無く。
やっと開いた時間を利用して学園島の外へと、3か月ぶりに二人きりで出かけた。
啓太が気にしていた映画に付き合い、ファーストフード店で軽めの昼食。
CDショップにゲームセンターと、啓太に合わせたデートコースをひたすら廻る。
啓太のはしゃぐ姿を見ているのが楽しかった。
(こうして見ると、子供の頃とたいして変わってないな)
だが、子供の頃との決定的な違い。
二人の間の恋愛感情が、俺の保護欲を邪魔する。
はしゃいで蒸気した頬に、唇に、視線が集中してしまう。
肌を合わせたのはまだたったの1回。
そう、最初の切っ掛け以来一度も無い。
さすがに学園の寮でどちらかの部屋から朝、出る勇気もなかった。
何より啓太が嫌がったと言う事が最大の原因だった。
「篠宮さんにこれ以上目つけられたくないよ」
辛くなかったわけじゃない。
だが、深夜近くまで勉強に勤しんでいる啓太の邪魔はしたくなかった。
身の振りが決定している自分と違って、この子はこれからだから。
手助けこそすれ、邪魔なんてもっての他だと自分自身に言い聞かせて来た。
だけど・・・・
「・・・和希?どうした?」
考え込んでぼーっとしてしまい、気が付くと啓太の顔が目前にあって驚いた。
「あ・・・ごめん。何でも無いよ」
笑顔を作って応答した俺に、啓太は頬を膨らませる。
「・・・啓太?」
「和希さ。俺が気が付かないとでも思ってる?」
ドキッとした。
自分の欲求を悟られたのかと。
だが、啓太の方向性は違っていて。
「仕事、大変なんだろ?疲れた顔してる」
そんな言葉にホッとしたのが半分。
失望が半分。
だけど、表に出て来たのは失望の方の割合が大きかったようだ。
知らずに逸らせてしまった視線で、啓太の言葉を否定していた。
「・・・和希?もう帰ろうか?」
「啓太・・・」
帰りたくはない。
あそこに戻ってしまえばいつもの日常が待っている。
啓太との、恋人としての接点の薄い日常へ。
「・・・キスしていい?」
勇気を出して告げてみる。
とたんに赤くなる目の前の顔。
「・・・ここで?」
拒否をされなかった事が、こんなに嬉しい事だとは思わなかった。
「・・・うん。ダメ?」
真っ赤になって、視線で周りを伺っている。
ファミリー向けの森林公園に、夕日の差し込むこの時間、人気など無い。
「・・・いいよ」
頬を染めて俯き加減で硬直している啓太をそっと抱き寄せ、ゆっくりと唇を落とした。
俺の背中に回された啓太の手が僅かに震えている。
(緊張してるんだ・・・)
こんな恋愛はどのくらいぶりだろう。
たかがキス一つでこんなにも緊張して、興奮する。
それなりの年齢になって、それなりに恋愛経験も重ねて来た筈なのに。
まるで何もかもが初めての様な感覚だ。
嬉しさに、気が付けば深く唇を貪っていた。
啓太の体から力が抜けている。
まだ少し幼さを残した細い体を支えたまま、名残惜しげにゆっくりと唇を離した。
視線が絡むと啓太は恥ずかしそうに瞳を伏せて、俺の胸に頭を預けて来る。
・・・これで満足するべきだ。
いや、満足しなくてはいけない。
これ以上はこの子に望んではいけない。
本音と立前が激しく心の中で交錯する。
これ以上触れあっている事に恐怖を覚えた時、啓太の口からこぼれた言葉は俺の『大人の立前』をいとも簡単に砕く様なものだった。
「・・・今日は・・・帰りたくない」
うっとりと呟いた唇を再び塞ぐ。
今回は長くならないように気を配りながら。
ちゅっと音をたてて唇を離し、耳元で囁いてみる。
「・・・泊まりに来ないか?俺の部屋に」
「・・・部屋って?」
「ここの近くにあるんだ。学園とは別に。俺の家」
そんな俺の言葉に啓太はゆったりと微笑んで。
「初めて聞いた。和希の私生活の事」
行く、と返答しながら再び体を預けてくる。
嬉しさと不安が体中を駆け巡る感覚に、鳥肌が立った。
現状がまるで幻のように感じられて、確かめるように愛しい体を強く抱きしめた。
久しぶりの自分の家。
あの学園で生徒としての生活を初めてからこの家に帰ってくるのはまだ片手で足りてしまう程の回数しか無い。
特に啓太が来てからは、同じ屋根の下に啓太が居ると思うとあそこを離れる気には到底なり得なかった。
「・・・広いね。ここに一人で住んでるのか?和希」
確かに一人で暮らすには少々広めの3LDKを、啓太は見回している。
「まあね。仕事柄、色々荷物も増えて来ちゃうしね」
「ふうん・・・」
会話が続かない。
あの公園からの道すがらも、二人で黙りがちに歩いて来た。
俺の心の中の『不安』が確実なものになって、思わずため息が漏れそうになる。
啓太に聞かれないように、ごまかしも兼ねて窓を開けた。
15階建ての11階部分に位置しているこの部屋は、窓を開けると強い風が一気に入り込んで来て部屋の空気を変えてくれる。
でも、啓太の困惑を流してはくれなかったようだ。
所無さげに立ち尽くし、俺の事を眺めているであろう視線を背後に感じる。
後悔が心を満たしていく。
振り返って見た啓太の顔は、案の定、強張ったものだった。
そんな顔、させたくなかった。
だから今まで我慢して来たのに・・・。
嬉しかったはずの最初の行為の思い出にすら、後悔の念を感じる。
告白の勢いで、負けてしまった。
自分自身の理性に。
あれが無ければ、啓太もここまであの行為を意識せずにいられたかもしれない。
強張ってしまっている啓太の表情と体を解すように、努めて明るく話しかけた。
「けーいた」
突然かけられた声に、ビクッとして反応する。
その反応を隠すように、啓太も又、明るく答えようとしているのが手に取るように判った。
「な・何?和希」
「・・・晩飯、どうする?なに食べたい?」
会話の内容に、あからさまにホッとした表情を浮かべる。
「あー、うん。何でもいいよ」
「・・・何でもいいとか言うと、ベトナム料理とかにするぞ」
辛いものが苦手なのを知っていてわざと戯けて嫌いなものを提案すると、やっと普段の笑顔を愛しい顔の上に浮かべてくれた。
それでいい。
その顔が守りたかったから。
それ以外の事なんて、俺は望まない。
本当の気持ちを押し殺しているのも苦にはならない。
自分をその瞳の中に写してくれているだけで、十二分に幸せだ。
偽善的だと罵られても、かまわない。
今日はこの部屋で、誰にも邪魔される事の無い二人の時間を楽しもう。
「で、何にする?」
「・・・思い付かないけど・・・俺,ここで食べられるものがいい。せっかく和希の家に来れたしさ」
「う〜ん、『ここで』かあ。・・・わかった。なんか漁ってみるよ。ちょっとまってて」
啓太の緊張が解けたのを確認して、台所へと足を向ける。
もともと不定期にしか帰っていなかった家だから、あるのは保存の利く食材ばかりだった。
その中から何点かチョイスして、火にかける。
フライパンを片手にスパイスを物色していると、いつの間にか背後に来ていた啓太が感心した様な声を上げた。
「へ〜。和希、料理も出来るんだ」
「だてに一人暮らし暦は長くないよ・・・難しいものは無理だけどね」
「でも凄いよ。・・・俺なんて卵もまともに割れない」
興味津々と言った風情で手もとを覗き込んでくる啓太に、子供の頃を思い出した。
「う〜ん、卵も割れないのか。それじゃあ俺のお婿さんにはなれないなあ」
よくある大人の質問。
『大きくなったら何になりたい?』
俺の母に、遊びに来ていた幼い啓太は問いかけられて、意気揚々と答えたのが・・・
『僕ね!カズにいのお婿さんになる!』
在りがちな反応ではあったが、やはりそれは周りの笑いを誘って。
何故笑われているのか解らない啓太は俺に食い下がって来た。
『カズにい、僕、お婿さんになれないの?』
真剣なその瞳に、否定の言葉を告げられなかった俺は苦笑とともに頭をなでた。
『啓太がかっこいい大人になったら、啓太のお嫁さんになってあげるよ』
周りの反応を計算に入れた俺の言葉は、大いに啓太を元気付けるものだったのを覚えている。
まあもちろん、そんな事を啓太が覚えているわけも無く、俺の言葉に幼い頃の瞳そのままに食い下がってくる。
「なんだよ〜それ」
「啓太が言ったんだよ。『カズにいのお婿さんになる〜』って」
「・・・もしかしなくても子供の頃の話だろ、それ」
「今も昔も、啓太は可愛いからな〜。俺、ちょっと嬉しかったんだぞ」
「・・・忘れてくれよ」
こんな些細な事にも頬を赤らめている啓太が愛おしい。
ここに来て,ようやく和んだ二人の間の空気の心地よさに身を委ねて、出来上がった有り合せの食事を談笑とともに取った。
食事の後、アルバムを開いた。
再会して初めて、思い出話に花を咲かせる。
二人で写っている写真を目の前に、幼くて、鮮明な記憶にならなかった頃の啓太の事を話して聞かせた。一つの話ごとに帰ってくる反応は、大概が恥ずかしがっているもので見ていて飽きない。
ふと視線を時計に移せば、いつもならとっくに入浴を済ませて自室にこもっている時間だった。
「啓太、そろそろ風呂入れよ」
「え?もうそんな時間?」
あわてて部屋の中を見回して時計を探している。
それを横目に、クローゼットの中から俺のパジャマを出して啓太に渡した。
「タオルは棚の中だから。わからなかったら呼べよ」
「・・・うん」
啓太が立ち上がって暫くすると、部屋の中に水音が響き始める。
その音が啓太の肌を目の前にちらつかせる。
「やばいよな〜」
誰に聞かれる事も無い言葉をぽつりと呟いて、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出して窓辺に移動する。
海沿いの町を一望出来る大きな窓を開けて、バルコニーに出てみた。
風に当たりながら冷えたビールを流し込む。
ぼんやりと景色を眺めていてもどうしても消えてくれない映像が辛い。
気が付けば、部屋の中の水音に聞き耳を立てている始末だ。
(寝室、二つあってよかった)
購入した当時は、一人でこんなにスペースはいらないと思っていたが、勧めてくれた母にこの時初めて感謝した。
それでも落ち着かない気分を、やめていた煙草にまで手を出して無理矢理誤魔化す。
そんな自分を端から見た所を想像して笑いをこぼした時、部屋の中から声が聞こえた。
「なに笑ってんの?」
10センチ弱しかない身長差でも、やはりまだ少年の体型の所為だろうか。
啓太の体には少し大きめの俺のパジャマを着込んで、濡れた髪の毛を拭きながら部屋の中から不思議そうに俺を見つめている。
「ちょっと思い出し笑い」
俺の返答に顔を緩ませながら近付いてくる。
「やーらしいなぁ」
隣にたどり着いた啓太からふわりと立ち上る石けんの香りが鼻腔をくすぐる。
その香りをかき消すように、加えていた煙草を一口、大きく吸った。
「あれ、和希スモーカーだったんだ」
「あ、何となくね。今までやめてたんだけど・・・一応学生だし」
指に挟まれている細長い物に、啓太の視線が集中する。
「ね、俺も一度吸ってみたい」
「・・・やめといた方が良いと思うぞ」
「なんだよ〜自分だって吸ってるくせに」
やんわりとした静止の言葉が啓太に届く事はなかった。
そうだ。この子はまだ、こういうのに憧れる年なのだ。
煙草とお酒が大人の象徴だと。
「何事も経験って言うだろ?ね、一口だけ!」
改めて年の差を感じていた俺の手から、火のついた煙草を取り上げて口元に運ぶ。
慣れない素振りが可愛さを引き立てつつ、大きく吸い込んだその時。
「・・・げほっ!」
案の定、激しく咳き込みはじめた啓太の背中を苦笑とともにさすってやった。
「だからやめといた方がいいって言ったじゃないか」
激しい咳き込みで潤んだ瞳を俺に向けて、抗議の言葉を必死で吐こうとしている。
「ほら、しゃべる前に大きく息を吸って」
苦しさから逃れる為に、言われた通りに深呼吸をして、少しかすれた声で話し始める。
「うえ〜。こんなに不味いもの、よく平気で吸えるな」
「人に依るだろ。啓太の味の好みじゃ美味しくないよ。煙草は」
啓太の手から取り返して、再び一口吸い込んで手もとの灰皿に押し付けた。
口に運んだ瞬間、『間接キスだな〜』などと考えている自分も大概に可愛いのだろうと思いながら。
「そっちは美味しいって知ってるから一口ちょうだい!」
「あ、こらっ!」
一つの缶を取り合う戯れ合い。
啓太の楽しそうな顔が、不意に至近距離に来てしまった。
とたんに反応する素直な体。
慌てて離れようとした時、啓太が俺の腕をつかんだ。
「・・・和希、さっきから変だよ?なんでそんなに俺から離れようとするんだよ」
返答に困る。
言えるわけが無い。
本当の事なんて。
自分の未熟な心なんて。
啓太のまっすぐな瞳に対して苦笑を浮かべる以外の方法を思い付かない自分の表現力の貧困さに再び笑いたくなった。
そんな俺に何を思ったのか・・・
啓太は大きな目を閉じて顔を近付けて来た。
微かに触れあった唇は、少し震えていた。
頼むから。
これ以上揺るがさないでくれ。
そんなに震えながら耐える必要な無いんだよ。
小刻みに震える肩を抱き寄せて、そっと囁く。
「・・・啓太の気持ち・・・嬉しいよ。・・・でも、無理はしなくて良いんだ」
俺の言葉に大きく見開かれた瞳は何を思っているのだろうか。
そんな事すら想像できなくなってしまう程、心から余裕が無くなっている。
いや、想像はしている。
とてつも無く自分勝手な想像だけど。
俺の腕の中から抜けて、啓太は部屋の中へと入っていった。
ホッと、安堵のため息が口を付いて、部屋の中へと足を向ける気にさせた。
きっと、大丈夫だと。
これからも啓太を守っていける。
時が来るまで待っていられる。
窓を閉めて、啓太の横顔に何事も無かったかのように話しかけた。
「もう寝るか?寝るんだったらベット用意するけど・・・・・」
その横顔が、いつもの様子とかけ離れている事にようやく気が付く。
啓太はやおら自分の着ているパジャマの上着のボタンを外しはじめた。
「けっ!啓太!?」
慌てて啓太の腕を掴む。
「和希・・・俺の事嫌いになった?」
宙を見据えて、固い声色で問いかけてくる啓太は少し大人びていて錯覚を起こさせる。
「なんでそんな事・・・」
「やっぱり、こんなガキとなんて恋愛、出来ないよな。和希は・・・カズにいは・・・大人だから」
「啓太?」
「カズ兄から見て、俺って何?やっぱり『弟』?」
「・・・・『弟』なんて・・・思えないよ」
そう思えたら・・・どんなに楽だろう。
触れあっている手から、襟元から覗いている肌から刺激を感じてしまわないように。
「・・・本当はね、俺だってわかってる。カズ兄が俺の為に我慢してくれてるんだって。でもね、俺、もうあの頃の啓太じゃないよ」
「・・・・」
「背だって・・・カズ兄に大分近付いたよ?」
「・・・うん」
「手の大きさだって・・・たいして変わらないし」
「・・・そうだね」
啓太の言葉が自分の都合のいい夢と重なる。
だけど・・・啓太の体は震えているんだ。
「あの頃の『好き』と、いまの『好き』の違いがわかるくらいには大人になったんだよ?」
「・・・わかってるよ」
「・・・嘘。わかってないよ・・・カズ兄」
「わかってるよ。・・・啓太が俺の事考えてくれて・・・頑張ろうとしてくれてる事も・・・」
「・・・ほら。わかってない」
啓太の青い瞳が俺を射ぬく。
「俺が・・・ずっと『抱いて欲しい』って思ってるなんて・・・やっぱりわかってくれてない」
「 !? 」
あまりの衝撃に言葉が出なかった。
何時だって啓太は、僅かな触れ合いにも震えていたから。
「自分でも変だとは思ってる!男のくせに抱いて欲しいなんて思うって事。でも・・・嬉しかったんだ。カズ兄にしてもらえた事。・・・和希に抱いて貰えて・・・嬉しかったんだ」
「・・・啓太」
啓太の俺への呼び方が、『カズ兄』から『和希』に戻る。
「あれから和希・・・俺にそういう事しないから、少し不安になった事もあった。あの時の俺の反応に・・・引いたんじゃないかって。こいつはおかしいって思われたんじゃないかって。・・・だから言えなかった・・・『俺が望んでる』って。でも、いつも近付くと切なそうな顔してくれて・・・」
その言葉は最後まで聞けなかった。
自分よりひとまわり小さい啓太の体を力任せに抱きしめた。
俺の浅はかな考えが啓太を傷つけていたなんて思いもしなかった。
体の震えが自分との葛藤だったなんて想像も付かなかった。
まだ、幼いと思っていたから。
行為に対して恐怖が先に立っていると思っていたから。
「・・・ごめん。ごめんな?啓太。本当に俺、解ってなかった。・・・啓太が大きくなってる事」
「・・・うん」
「啓太と俺の『好き』が、同じものになってるって事」
「うん」
「もう・・・セックスに対処出来るくらい大人になってたって事」
「うん」
「・・・我慢、しなくても良いんだよな」
「うん・・・しないで」
啓太が身じろいでそっと俺を見上げてくれる。
引き寄せられるように唇を重ねた。
深く舌を絡ませて・・・それまでの不要な箍を外すように。
啓太も俺の首に腕を回して、つたないながらも答えてくれる。
こんな恋愛、今までした事が無い。
こんなにも思って。
こんなにも思われている。
下手な小細工なんて必要の無い絆。
啓太のぎこちないキスが、俺の慣れたキスを笑い飛ばしている様な気がする。
キスだけで煽られた体の中の熱に息苦しさを感じて、先に唇を離したのは俺の方だった。
涙が滲んでいる青い瞳で俺の視線を離さない啓太の唇から溢れた言葉。
「和希・・・好き。・・・抱いて」
きっと、一生忘れられない。
俺の全てを許す様なこの言葉は。
守りたいと思っていたのに、いつの間にか甘えさせられている自分がいたなんて、笑い話にもならない。
時を待っていたのは俺ではなく、啓太の方だったなんて。
明かりのない暗い部屋の中で、啓太の白い肌が鈍く光ってシーツと解け合っている。
「あ・・・和希」
声を上げさせる度に長いまつげが僅かに震える。
「もっと聞きたい・・・啓太の声」
「は・・・ズカしいよ」
バラ色に染まった頬が愛おしい。
手を重ねて見れば。
昔、別れた時とは別人の様で。
でも、見上げてくる視線は確かにあの頃のままだ。
俺にしがみついていた腕は今、俺の体を包み込むように回される。
この違いに何故気が付かなかったのだろう。
『好き』の意味の違いが理解出来ていなかったのは自分の方だったと思い知らされて自己嫌悪に陥る。
「かず・・・き?」
俺の僅かな感情の揺らぎすら、今の啓太は敏感に感じ取る。
「好きだよ・・・啓太」
こんな言葉では、多分啓太は誤魔化されてはくれていないって解っている。
それでも自分の弱さを見せられない臆病な自分が情けない。
不意に、啓太の手が俺の頬に触れてくる。
「和希の事・・・誰よりも好きだよ・・・和希の事が全部・・・好き」
俺が守りたかった幼い子供は、いつの間にか俺の事を追い越して俺の事を守ってくれていた。
カーテンの隙間から差し込む強烈な光で意識が浮上する。
目を開けると見なれた天井が視界に入り、いつも通りの朝の風景が広がった。
まるで、夕べの事が全て夢の中の事だったかに思える。
だけど肩口をくすぐる少し癖のある髪が、夢ではなかった事を告げてくれた。
初めて迎える二人の朝。
夕べの疲れを色濃く残す顔にそっと手を延ばしてみると、今だに眠りの海に身を沈めている筈の体が僅かに動いて愛しい体が密着する。
初めての心からの幸福感に、自然と笑みが漏れた。
ーーーーーいつまでも、愛していたい
幼さを残す唇に触れながら、この幸せが続くように強く祈った。
END
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