エッセンス


2003.6.23 UP



 

 俺は今、人生の中でも最大級の危機に瀕している。
 その危機とは、仕事の事でもなければ体調の事でもない。ましてや何年も前に終わらせている高校の勉強の事なんかでは到底ない。
 その危機とは・・・・啓太が怒っているのだ。
 もう啓太が口をきいてくれなくなって3日になる。
 理由が判っているだけに、こちらが切れる事は許されないのだ。
 
 
 事の起こりは3日前だ。
 放課後、啓太が学生会の用事で遅くなるのを、手芸部が終わった俺は教室で愛しい啓太を待ちわびていた。
 そこに『がらっ』と音をたてて教室に入ってきた見知らぬ生徒が、事もあろうにこの俺に告白なんてものをしてきた。
「君が好きなんだ。遠藤君」
「・・・は?俺ですか?」
 その生徒は2年に在籍しているという背の高い、いかにも運動系といった感じの好青年だった。まあ俺が覚えていないという事は、たいして印象の強い生徒では無かったのであろう。(ひどい理事長だ)まあとにかく、その2年生の○○君は、俺の事が好きらしい。彼が話しかけてきた時は、また啓太の事を聞かれると思って身構えたが、話の方向が俺に方に向いた事で気が緩んだ。だが、次の瞬間、そいつはあろう事かこの俺にキスなんてものをしてきた。
 ・・・・そこが問題だった。
 いきなり仕掛けてきたこいつにも腹が立ったが、なにより許せないのがその場に啓太が居るという事を知っていて事に及んだという事だ!
 ドアの前に佇んでいた啓太に俺が気が付いた時にはもう手遅れ。
 決して小さくはない瞳いっぱいに涙をためた啓太は、視線をそらして走り去った。
 ・・・それから啓太は俺と口をきいてくれない。
 
 啓太の部屋のドアの前で何度も誤解だと説明しても、啓太は顔すら見せてくれない。そして今日も今日とて仕事を放り出して、啓太の部屋の前で説得を続けている俺だった。仕事も問題のないこの時間に3日も啓太と話も出来ないのだ。しかも5日後には出張も入っている。 今日こそ啓太の怒りを解かないと俺も我慢限界だ。
「啓太、頼むから顔だけでも見せてくれ」
「・・・・・・・・・・」
「油断した俺も悪かったから」
「・・・・・・・・・・」
「あの人とは何でもないんだよ」
「・・・・・・・・・・」
「ちゃんと断ったから」
「・・・・・・・・・・」
 何をいってもやっぱり啓太の部屋の中からはうんともすんとも返事がない。
 廊下を行き交う生徒達が、からかい半分で声援を送ってくれる。
「がんばれよ〜遠藤!」
「奥さん、まだダメなのか〜?」
「今回はよくつづくな〜」
 これ以上、騒ぎを大きくしたくない。俺のこれからの生活にも関わる。それよりも、この隙に啓太に言い寄らんとする不適な輩が出てきそうな気配が見え隠れする。
 啓太を傷付けた自覚があったので啓太の意志を尊重してきたが、これ以上は引き延ばせない。
 こうなったら最終手段に出させてもらおう。
「啓太・・・頼むからあけてくれよ」
「・・・・・・・・・・」
 返事がない事を確認して大きく息を吸い・・・・・
 
 
 
 
 
「啓太!愛しているんだ!!」
 
 
 
 
 
 半径50メートルはこの一喝で静まり返った。
 そして・・・
 
 ばんっ!

 70時間あまりの力を溜め込んで啓太の部屋のドアが勢いよく開いた。
「啓太・・・・」
 ドアの取っ手に手をかけたまま、うつむき加減で啓太は姿を見せた。
 次の瞬間、啓太は真っ赤な顔を俺に向けて一言
 
 
 
 
 
「・・・・・ばか和希!!」
 
 
 
 
 
 
 ひどい言われ様だが、やっと姿を見せてくれた啓太をみすみす見逃す様な俺ではない。
 再び勢い良く閉められそうになるドアを足で塞き止めて無理矢理部屋の中に侵入する。
「・・・!でてけよっ!和希の顔なんて見たくないっ!」
 目一杯に涙をためて、枕やらクッションやらを一生懸命俺に投げてくる啓太は、犯罪なくらい可愛かった。
「俺のとこに来てる暇があったらあの人の所に行けば良いだろ!?」
「だから、あれはちゃんと断ったって言ったろ?だいたい、俺が啓太以外にはノンケだって知っててそれはないだろ」
 投げる物を一生懸命探している啓太に、今まで啓太が投げた物を手もとに戻してやる。さらにそれを手に取って、啓太はまた投げてくる。・・・いつものお決まりのコースだ。
「それじゃ、ちゃんと女作って牽制でもなんでもすれば良いじゃないかっ!俺の事なんてもう捨ててくれてもいいよっ!和希なんか大ッキライ!!」
 
 3日間、心の中にためていた事を全て吐き出したのだろうか。
 4回目のクッションを投げた所で啓太の手が止まった。
「・・・捨てるって・・・今の状況は啓太が俺の事、捨ててるんだろ?それにな・・・」
 涙をぽろぽろこぼしながら、興奮して肩で息をする啓太を優しく抱きしめる。
「何年啓太一筋で来たと思っているんだよ。今更俺は変われない。どんなに美人でたおやかで頭も良くて家柄も良い女性が出てきても、啓太以外は愛せないよ。たとえ啓太が俺の事捨ててもね」
 毎回の事なのだが、啓太は俺が抱きしめるとどんなに怒っていても大人しくなってしまう。今回も例に違わず、ちゃんと俺の腕の中で泣いてくれている。こんな時、啓太に愛されている事を実感出来る。
「・・・やっぱり俺の事、許せない?自分の意志じゃなくても他のやつとキスしちゃった俺の事、啓太は嫌いになっちゃった?」
 啓太の髪を優しくなでながら、啓太のお許しの言葉を待つ。(これもいつものパターン)
 ・・・だが、啓太の口から出てきたのはお許しの言葉ではなく、ここまで俺を避けていたと言う理由だった。
 
「違うんだ。和希の事、許すとかじゃないんだ。・・・俺もあの日、3年生に告白されて・・・キスされちゃったんだ」
 
 
 ・・・・・なんだと!
 
 
「・・・その人、体格が王様並みにあって・・・どうしても逃げられなくて・・・その上・・・キスがうまくて・・・・・俺・・・和希以外なのに・・・・感じちゃって・・・」
 
 
 かっ・・感じちゃった!?
 
 
「恐くなって・・・一生懸命和希の所に帰ったら・・・その・・・見ちゃったから・・・」
 この時点の俺の頭の中の半分のメモリーは、俺の啓太に不埒な事をしたヤツの割り出しに取りかかっていた。
「和希にも・・・俺以外の選択肢があるんだってこと・・・実感したんだ。・・・俺も・・・和希以外のやつでも感じちゃうし・・・・すごく・・・不安でっ・・・」
 再び俺のシャツの胸元が、生暖かく湿ってくる。半分のメモリーはまだ人物の特定に働いていたが、残りの半分で啓太の嗚咽まじりの言葉に耳を傾ける。
「俺なんて・・・こんなやつだからっ・・・和希に相応しくないっから・・・別れようっておもっ・・・てっ・・・でもっ・・・俺から・・・別れるなんて・・・出来なくて・・・和希に・・・捨ててもらおうって・・・」
 
 こんな可愛い事を言われて別れられる男がいたら、お目にかかってみたいものだ。そんじょそこらの女じゃこの可愛さには太刀打ちできまい。これを意図的にやっているのであればもの凄い策士なのだが、俺の可愛い恋人は地でやってのけてくれる。俺がどんなに素晴らしい女性との縁談を持ちかけられても靡けないのはしょうがない事なのだ。
 
「だから・和希。俺の事・・・捨てて」
「イヤです」
 俺の即答に、啓太は目を見開いて胸元から顔を上げた。
 涙を流した直後の瞳は艶かしく潤んでいて、情事の最中を連想させる。
「かず・き・・・俺の話・・・聞いてなかった?」
 そんな告白、逆効果です。啓太君。
「啓太は、俺の事嫌いになって別れたいわけ?」
「そんな・事・・・ある分けない・・・和希以外に感じちゃう俺なんて・・・」
 ・・・・もう我慢限界。3日も離れていた上にこんな可愛くされてしまっては、いくら大人の男の俺でも我慢出来る許容量を超えてしまう。
 啓太の言葉を遮るように唇を奪った。
「かっ・・・和希っ・・ダメ・・・だよっ!」
「・・・俺がもっと感じさせてやるよ。だから忘れていい・・・そんな事」
 俺は今までの経験を総動員させて啓太の唇を貪った。
 こういう事は「亀の甲より年の功」で経験が物を言うのだ。現役高校生なんぞには負けない。負けるのはモノの角度くらいだ。
 啓太の全身から力が抜けきっても尚、執拗に唇をあわせる。
 長い口付けから解放した後啓太の顔を覗き込むと、その瞳は既に情欲の色を露にしていた。
 
「・・・・忘れた?」
 
 そんな啓太の様子をわざと見ない振りをして悪戯っぽく問いかけと、頬を蒸気させて瞳を潤ませながら、啓太は小さく「ばか」と囁いた。
「今日は『ばか』が多いな」
「だって・・・和希、こう言う事には『馬鹿』じゃん。・・・俺なんかと付き合ってるしさ」
 だから、啓太にかなう女がいたら会ってみたいって。
 心の中でそう呟きながら、啓太の頬に唇を落とす。そのまま耳元で、最後の仕上げにかかる。
「・・・皆が寝静まったら理事長室、行こうな」
 その俺の言葉に、あからさまに不服の表情を向ける。
 それはまあ、そうだろうけど。
 アレだけ煽って今はお預けしたんだから。だけど俺だけの啓太のアノ時の声を、今、ドアの外で聞き耳を立てている連中には聞かせられない。
 だからここではナシ。ハッキリ言って俺も辛いが3日もお預け食らわせられたのだから啓太にも少しは我慢してもらおう。今回も無事、危機を乗り切れた事に胸を撫で下ろしながら、啓太の部屋を出る。
 勿論、部屋の前には事の成り行きに聞き耳を立てていた連中が、ござを敷いて俺たちの会話を肴に宴会しそうな雰囲気でたむろしていた。 そんな彼等ににっこり笑って牽制をして自室に戻る。
 さて、マンネリしそうなラブラブ関係にエッセンスを加えてくれたありがたい2年生の○○君と、啓太を悩ませてくれた3年生の××君に、感謝を込めてお礼をしないといけないな。
 啓太との約束まで2時間。
 監視カメラシステムとセキュリティプログラムをいじりながら、待つ事にしよう。
 エッセンスの効果でいつもより楽しい時間になる事を確信している。
 
 お楽しみはこれからだ。

 

 

 

END




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