深夜12時をまわった頃、啓太は自室に帰る為に衣服を身に着けていた。
何故、こんな深夜に自室ではない場所で衣服を整えているのかと言えば、当然そこは恋人の部屋で。週末の甘い夜を、恋人で、幼馴染みで、親友の男の部屋で過ごしたのである。
その部屋の主人は、そのまま朝まで一緒にいる事を望んだのだが、啓太はそれを拒否した。
理由は、その前の週、二人で甘い一時を過ごした後、朝自分の部屋に帰ろうとした所で寮長に見つかり、こっぴどく説教をされたからである。流石に2週蓮チャンは御免被りたいのだ。学年が変わろうとしている今、寮長も新しい人で、最初から悪印象は抱かせたくない。
そんな啓太の心を知らず、和希はなおも食い下がる。
「いいじゃないかー。大丈夫だよー。2週も続けて見つからないって」
「どうして『見つからない』って断言出来るんだ?俺は危ない橋を渡ってまで泊まりたくない」
「こんな時間までここにいたら一緒だろ?どうせ後6時間くらいなんだ。一緒にいてくれてもいいじゃないか」
「だから………」
まるで駄々っ子のような言葉の数々に啓太はため息を堪えて返答しようとした所で、ふと、机の上に置かれていたカレンダーが目に入る。
(あ…そういえば、そうか)
あまり日本での習慣はないが、何故か伊藤家では毎年繰り返されて来た事。
その日だけ、それは特別な意味を持って笑いになる。
啓太の頭に一計が浮かんで、和希に見えない位置で僅かに口元が上がった。
「……和希に言ってなかったっけ?」
「何が?」
和希の返答にいつもの調子を見出した啓太は、そのまま言葉を続ける。
「俺、明日から出かける予定があるんだよ」
「………明日?聞いてないよ?」
何気なさを装う為、淡々と身支度を整えながら、啓太は続ける。
「春休み中に、どうしてもやっておきたい事があって…ちょっと遠い所まで出かけてくる」
「やっておきたい事って…何?俺も一緒に行くよ?」
「ダメ。和希は明後日仕事だろ?一緒に行けないよ」
「明後日って…そんなに遠い所に行くのか?実家?」
段々と不安そうな声になる和希に、啓太は心の中でほくそ笑む。
だが、顔はいつもの通りだった。故に、和希は気が付かない。
「……実家にも行くかもしれないけど…俺…明後日手術なんだ」
「!はあ!?」
降って湧いた事柄に和希は面食らって、シーツを跳ね上げてベッドから飛び降りた。
「何!?どっか具合悪かったのか!?何で俺に言ってくれなかったんだよ!」
あまりにも真剣な顔に啓太は一瞬引きつるが、取りあえず最後まで完追しようとなんとか表情を戻す。
だが、その一瞬の引きつりを和希は見逃さない。
何か、企んでる。
それに気が付きはしたが、和希は取りあえず啓太の様子を伺う事にした。
「和希の為に、性転換しようと思って…終わったら、和希の着せたがってたウェディングドレス…着てあげるから…だから、今夜は帰るね」
「………」
最初こそ驚いたが、最後まで聞いてしまえばなんて事はない。
そこで初めて和希はカレンダーに目をやった。
本日、4月1日。
エイプリールフール。
(啓太…イギリス人?)
嘘がヘタなくせに、取りあえずやろうと試みるのはいい事かもしれない。笑いは生活の潤いだとは和希も思う訳で。
そして、啓太がそのつもりなら、和希とて負けられない。
和希は、変な所で対抗意識を燃やす大人気ない大人だ。
心の中でにやりと笑い、だが、顔は神妙な面持ちを作り啓太の肩に手をかけた。
「………いいんだ、啓太。そんな事しないでくれ」
「で、でも…もう予約しちゃったし…和希の事、俺、本当に好きだから…女になりたい」
「女なんかにならなくても、そのままの啓太が好きだよ」
「で、でもでも、やっぱり和希の好みの服は着たいし…」
「そのままでも着れるさ!じゃあ、今からデザイン起こすか!」
「いっ!?いや!!やっぱりちゃんと女になってから…!!それに将来和希の奥さんになる為には、もう女として修行始めないといけないからな!」
「なら、そんな俺の知らない所で手術なんかしないで、俺が紹介してやるよ。大事な啓太だからな…俺の為にそんな決心までしてくれるなんて…もう感激だよ!明日直ぐに良い整形外科医手配するから!」
「いっ!?!?いやっ!あっあの…!!」
流石にここまで話が大事になってくると、啓太もどうして良いのかわからなくなる。最初に引きつった時に「エイプリールフールだよん」と軽く言ってしまえば良かったのだが、それも後の祭り。
啓太を他所に盛上がる和希に、啓太はアワアワと慌てるばかりだ。
そして和希が「今のうちに石塚にメール入れておくか」と呟いてパソコンをたち上げた時。啓太はとうとう和希の腕に飛びついてその行動を止めた。
「まっ!待て!和希!さっきのは…」
「なーんつって」
会話の冒頭とは逆に、必死の形相の啓太に和希は舌を出してのんきに受け答えをする。そこで初めて啓太は、自分が和希を嵌めようと巡らせた罠に、自らかかってしまった事に気が付いた。
「………!気が付いてたな!」
「当たり前だろ。最初は良い線いってたんだけどなー。流石に『性転換』はわかるって」
女装ですら嫌がる人間が、性転換など思いつく筈もない事を和希は突っ込んだ。
「…ならっ!何で直ぐに言わないんだよ!」
「そりゃぁ、今日はエイプリールフールだからな。啓太だけが楽しむなんてずるいじゃないか」
だが実の伴わない啓太の嘘と、本当に実行する事が出来る和希の嘘では、どちらが可愛げがあるのだろうか。啓太はぷぅっと頬を膨らませた。
「わかった…でも明日は本当に出かけてやる」
拗ねている啓太に、和希はクスクスと笑うだけだった。
だが、次の一言でその笑顔もはげ落ちる。
「昨日、中嶋さんから連絡貰って面白いお店に連れて行ってくれるって言ってたから、中嶋さんとデートしてくる!」
中嶋の言う『面白い店』。
それはきっと、和希にとってとてつもなく面白くない店である事は明白で。
いつそんな連絡が入ったのかは和希にはわからなかったが、慌ててそれを止めに入った。
「まて!中嶋さんが言う面白い店なんてきっとろくでもないぞ!啓太は明日外出禁止だ!」
和希の慌てぶりを横目で見た啓太は、再び表情を崩す。
「なーんつって!」
「………え?」
先程の和希の台詞をそのまま返しペロリと舌を出した啓太に、和希は「しまった」と頭を抱えた。
だが、その瞬間からまた和希の思考は巡り出す。
やられたら倍返し。
「…酷いぞっ!啓太!20歳の俺の心はずたずただ!」
禁忌の年齢ネタだったのだが、その年がまずかったのか。啓太はしらっと流してしまう。
「ハタチはないだろ。流石にバレるって」
だが、その顔を確認して和希は更に言う。
「あははは。やっぱりダメか…ホントは38なんだ」
「えええええぇ!」
啓太の驚愕度合いに、逆に和希が驚愕するが、それもまた啓太の演技かと考えた。
だが、啓太は本気で驚愕していた。
「ホントにっ!?うわーっ俺、どんなにいっても和希は20代後半だと思ってたのに…!ええぇ!?俺と何歳差!?つーか、和希、初めてあった頃そんなに大きかったか!?!?」
………。
何故20が嘘だと思ったくせに、38を信じるのか。
和希は自分で振った嘘に複雑な思いを抱えてしまった。
「………啓太、俺、そんなに年に見える?」
「いーっや!全っ然見えない!びっくりしたー!」
全然見えないのなら、普通直ぐに気が付くだろう。
直前までエイプリールフールだと騒いでいたのだから。
だが、そこはやはり啓太。和希の冷たい視線にも気が付かずに「びっくりしたー!22も離れてるのかー!」と繰り返す。そして、繰り返される度に和希の機嫌が降下していっている事に気が付かない。
啓太の台詞が4回繰り返された時。和希の中に『ぶつっ』という擬音が生まれた。
確かに振ったのがは和希だ。
最初に全くの嘘だとわかる20歳という年齢を提示したのも和希だ。
だが、だからと言って38をそのまま鵜呑みにするとは思わなかったのだ。そして、それを鵜呑みにするという事は…。
啓太の中の己の立場がよくわかってしまうというもので…。
「…け・い・た・君」
表面上はにっこりと微笑んで。
「…えっ?何?」
秘密がわかってすっきりした様な表情を浮かべる啓太の体を有無をいわさず抱き上げる。
そして、そのまま乱れたベッドに逆戻り。
そこで漸く、啓太は和希の機嫌が悪い事に気が付いた。
「…かっ、和希?」
「啓太の中で、俺がどんな扱いを受けているのかよーっくわかっちゃった」
「え?扱いって?」
和希の機嫌の悪さと言葉の意味を考える啓太を笑顔のまま押し倒して、繕われた身なりを再び解きはじめた。
「ちょっ…!何!?和希!?」
「おじさんだと思われてるのは俺的に納得いかないから、今日はコレから朝までいかに俺が若いかを体に教えてあげるよ」
「えええぇ!?だって俺、今日は帰るって言ってっ…!!」
「ちゃんと啓太の中で俺が『お兄さん』として定着するまで、しっかり教えてあげるからね」
「それとエッチが繋がる所が既にオヤジっぽいー!」
その叫びも手伝ってか。
啓太がその夜、和希の部屋から出てくる事はなかった。
そしてお約束の様に次の朝には寮長に見つかって再び長々と説教をくらう嵌めになるのだが、今はまだそれを知る由もなく、和希の若さに耐えるのだった。
「オヤジって、ジョークだよな?」
「ジョークジョーク!エイプリールフールだから!」
「…エイプリールフールでも、面白くない」
「うわーんっ!もう許してーっ!!」
ジョークは人を見て選びましょう。
END
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