8月の長い夜シリーズ

One〜8月の長い夜after Story〜


2005.6.24UP




「絶対行かない」
「なんでだよ」
「行かないったら行かない」
 この不毛な押し問答はいつまでも終わる様相を見せない。
 苦節10何年の思いを経て漸く両思いになったというのに、何故にこうも愛しの恋人は強情なのか。
 いや、啓太が強情なのは今に始まった事ではない。
 そもそもこの強情さが原因で、3年間苦労したのだから。
「そんなに一緒に住むのが嫌なのか?」
「い・や・だ」
 一音一音しっかりと区切りを入れて、最近ではあまり使う事もなくなった日本語で啓太は拒絶を表す。そんな様子は、高校生の頃と少しも変わりは無い。
 高校を卒業したからといっても、すぐに大人になる訳ではない事くらい俺だって理解している。
 まあ、自分がどうだったかはあまり覚えてはいないが。
「なんでそんなに嫌がるんだ。俺たち付き合ってるんだろ?しかもココは日本じゃない。しかもこの州は同性の結婚を認めているくらいなんだから、誰に言い訳しなくても同性愛者だからと言って迫害はされないんだぞ?」
「迫害とかの問題じゃないの。まあ確かに、そんなにオープンにしたい訳じゃないけどさ」
 8月の最後の日、お互いの関係を清算してキチンと関係をスタートさせたというのに、啓太と会えるのは精々月に3回程度だ。…といっても、まだ二人そろってサンフランシスコに来てから5ヶ月あまりなのだが…。
 原因は、俺の仕事の都合と啓太の授業のスケジュールが合わない事だ。お互いに都合があるのは仕方ない。だが、会えないのを我慢するのとこれは別問題だ。そして、打開策として提案した『同居』は今、啓太に突っぱねられている。
「世間の目が問題じゃなければ、どんな理由だよ」
 一瞬、過去の啓太が頭を過ったが、すぐに打ち消した。今の啓太がこの期に及んで俺との関係を阻む事はないと思う。
「理由?全部説明しないと納得しない訳?」
 少しあきれた様な目をして、啓太はキッチンで入れて来たコーヒーを口にしながらため息をつく。
「する訳ないだろ。俺は常に啓太と一緒に居たいんだから」
 持っていたカップをトンっと、座っているラブチェアの前に置いてある小さなテーブルの上に置いて、啓太は口を開いた。
「先ず理由その一。和希の部屋からだとバイト先が遠くなるから」
 確かに。啓太のバイト先は現在啓太の住んでいるこの部屋のすぐ近くなのだ。俺の部屋はココから二駅離れている。
「理由その二。学校の友達を気軽に呼べなくなるから」
 これには反論の余地がある。
「呼べば良いじゃないか。俺は気にしないし、啓太の友達を見れるのはうれしいよ」
 俺の言葉に啓太はすっと眉を寄せた。
「理由その三。和希の部屋が、理由もなく学生が住むには不自然な部屋だから!」
「不自然て…普通の部屋だろ。ココとそう変わらないと思うんだけど」
 啓太の部屋は結構広い。まあ、日本の住宅事情とは根本的に違うのだが、こっちにしてもそこそこの広さがある。リビングがあり、部屋は三つ付いている。対して俺の部屋は、リビングの広さは確かにココより広いが、部屋数は4つと、たいした差はない。
「変わる!リビングはココの3倍、各部屋の広さがココの倍あるんだぞ!?しかもなんだよあの家具!うっかりコーヒーこぼしたじゃ済まないだろ!」
「済むよ、別に。そう高いもの入れてる訳じゃ無い」
「あれを『そう高い物じゃない』って認識すること自体、和希とは住めないの!」
「…じゃあ、啓太が俺と住むのが嫌な理由は、生活意識の違いってやつ?」
 おそるおそる聞いた俺の問いに、啓太は大きく頷く。
「そんなに贅沢に生活している訳ではないと思うんだけど…」
「じゃあ、月の食費言ってみろよ」
 そんなものはわからないし、気にした事もない。
 黙り込んだ俺に、啓太は勝ち誇ったように言い放つ。
「食費の計算もしないで生活している奴と、どうやって一緒に暮らせって?お互いの持ち分だって計算出来ないじゃないか」
「そんなのいらないよ。俺が啓太と一緒に住みたい訳だし、俺が持つから」
「それが嫌だって言ってるんだよ!」
 …つまりはこういう事か。俺に養われるのが嫌な訳だ。
「…あのな。俺は社会人だぞ?なんで学生の啓太から食費もらわなきゃいけないんだよ」
「食費だけじゃない!あんな場所の家賃なんて、半分だって俺は出せない!俺は月2000ドルで生活してんの!」
 これには驚いた。2000ドルで生活出来ること自体、俺には想像がつかない。
「…なに驚いてるんだよ。一般家庭の仕送り額なんて、これでも多いぞ?」
 そう言う物なのか。
 口には出せないが、心の中で呟く。
「ココの家賃が1100ドル。これだってかなり偶然に格安でシェア出来る物件が空いてたから借りれた訳だし、月の食費が俺は結構食うから250ドルかかってんの。全部自炊にして、学校にお弁当もってってこれに抑えてるんだよ。その他が電気、水道とかの光熱費に170ドル。国際電話が結構高いから、これの予算で月300ドル。これ以外で衣類や交際費をまかなってるんだよ。足りないからバイトしてるくらいだしね」
 黙っている俺に、啓太は畳み掛けるように付け足す。
「それにな。俺が3部屋もあるココに住んでる理由は、親や妹の部屋だって理由もあるの。俺の名前でせっせと航空券の懸賞出してるみたいだし。来月にはもう一回目の渡米の計画があるんだよ」
 こんな感覚は、確かに俺にはない。
 月の光熱費がどうとかなんて一々確かめる事もした事はないし、食事を自炊なんて殆どしない。疲れて帰ってキッチンに立つなんて、ある訳がない。
 職場でもそんな話題が出た事もないし、掃除に至るまで人任せな俺には無縁な世界だ。
「…啓太が俺との同居を断る理由はわかった。ただ一つ言わせてもらうと、あそこは賃貸じゃない。普通に買った俺名義の部屋だから、家賃を気にする事はない」
「…買ったんだ」
 目を見開いて驚いている啓太の表情は、初めて出会った子供の頃と何ら変わりはなくて…。いや、今はそんな事を感傷的に眺めている場合ではない。なんとか説得をしないと、何の為に2年努力して来たのかわからなくなってくる。
「そんなに気になるなら今までの生活費、そのまま俺に渡してくれれば良いし、生活を変える必要はないよ。親の部屋が欲しいって言うなら別の、もう少し部屋数のある場所に移動しても良いし」
「わざわざ買った物件を、なんで移動するんだよ。売買なんてそんなに簡単じゃないだろ」
「あそこはそのまま社宅にすれば良い話だし、どうせならもう少し職場に近い方が楽だしな」
 良い募る俺に、啓太の眉間の皺は深くなる一方だ。
 どうしたら解ってもらえるのだろうか。
 お互いの気持ちを理解したときくらい、時間がかかるのだろうか。
「賃貸じゃない物件を、また買うって言うのか?」
「ああ。もう別の場所に移る計画もないしな。自分の持ち物の方が気楽だろ?」
「気楽って…」
 啓太は暫く絶句して、さっきのため息よりも数段大きなため息をついた。
「やっぱ、和希とは住めない。一生別居決定」
「なんでだよ」
「そんな生活感には付いて行けない」
 それは困る。いつかは慣れてもらわないといけないと思う。
 それに、啓太の感覚を知る事も必要だ。ココから先が長いのだから。
「買うのが嫌な訳?」
「そうじゃない。それは和希の自由だし、俺の口を出す所じゃないだろ。ただ、俺にはそう言う感覚がないって事」
「感覚の問題だけか?」
 こくりと頷く啓太に、俺は勝利を確信した。今回は思っていた程長期戦にはならずに済みそうだ。
「じゃあ、啓太が俺と同じだけの収入があれば、問題ないんだよな」
「…ある分けないだろ。そんな人格変わりそうな収入」
 俺が持って来たケーキを、ため息まじりに口に運ぶ。
「それがあるんだな。啓太が俺の事ふったら渡そうと思ってたんだけど…」
 俺の言葉にフォークを口に銜えたまま、きょとんとこちらを見上げる。
「一年生の時、啓太がふざけ半分で俺に宝くじ買ってくれたの覚えてるか?」
 声に出さずに、頭を横に振る事で覚えていないと啓太は表した。
「そんな事があったんだよ。買い出しに出た時に、啓太は俺に宝くじ買ってくれてたんだ。で、自分の運の良さはわかってるよな?」
 ためらいつつ、これには頭を縦に振った。
「当然、当たってた訳。しかも一等。額は5000万円だ」
 大きな目を更に大きく見開いて、今にも瞳がこぼれ落ちそうな程驚いている。
「本当はそのまま渡そうとも思ったんだけど、ココは一つ、啓太の運が金銭的な物にどれだけ通用するのか見ようと思ったんだ。で、それを元手に株式投資した。啓太の大学卒業までの7年でどのくらい増えるか見ようと思ってたから今はまだ途中だけど、今の啓太の総資産額は398万ドルって所だな。ちなみに年間入る利息は、おおよそ12万ドル。更にこれに、株式利益が付く。さすがに俺はもう少しあるけど、今の仕送り額を考えれば、まだ俺と住めるだろ?」
 金銭の計算を聞いた啓太は、銜えていたフォークを床に落とした。
「な…」
「あ、ちなみにこれは申し訳ないかな〜とは思ったけど、自社の株も購入して頂きましたのであしからず。御陰で新薬開発が軌道に乗っております」
 これは本当。啓太の名前で株を購入した後、思いもよらなかった所から新薬が発見された。この時はびっくりしたのもあったが、啓太に感謝せずにはいられなかった。これの御陰で俺が日本に戻らない画策も軌道に乗ったのだ。
「なん…」
 さっきから啓太の言葉は端のみで、マトモな意味の解釈は出来ない。そんなに驚く事なのか。
「な?これなら俺と住めるだろ?」
 二の句が出ない啓太に俺は討論の勝利を感じて実際の話に移そうとした。
 矢先、俺の言葉は啓太の叫びに遮られた。
「なんで俺の名前でそんな事してるんだよ!それは和希に買った物だし、俺の物じゃないだろ!それに株とか言ってるけど、運用しているのは結局和希だろ!?俺の収入じゃない!」
「啓太の名前でやってるから、こんな短期間にココまでのびてるんだよ。それに俺、5000万に飢える程、金に困ってないしな。どうせなら啓太の為に使いたかったんだよ」
「けどっ!」
「ほら、一般の人は証券会社に運用を任せるんだろ?だったら俺は差し詰め啓太専用の証券会社って事だな。これも一つ、お前の運だよ。」
 啓太は口を開けたまま俺を見つめ続ける。その顔が面白くて、声を出して笑ってしまった。
「…笑うなよ」
 俺の笑い声に自分を取り戻した啓太は、頬を膨らませている。
「啓太、いつの間にそんなに面白い奴になったんだよ」
 笑い過ぎで涙まじりに言う俺に、ますます頬は膨れていく。そんな姿も可愛いと思えるのだから、俺も相当ダメな奴だなとおもう。よく2年も離れていられたと、自分で自分を誉めたい気分だ。
「面白いのは元々だよ。…でもなー」
 最後の言葉は拗ねた感じの物ではなく、いつもの啓太の声色だった。
「でも…なんだよ」
「なんかその話聞いてると、ホントに俺、和希と一緒にいる運命なんだなって思うよ」
 過去を思い出しているのか、啓太は複雑そうな顔をして空を見つめている。
「運命ね…啓太が運命論者だとは知らなかったな」
 広い部屋の中、定位置と化している二人掛けのソファーで俺に寄り添って座っている啓太の肩を抱き寄せた。
「運命論者な訳じゃないけどさ。和希と一緒に居るから、色々巧く事が進む様な気がする」
「それはこっちの台詞。啓太が居るから、俺は自分の好きな道を進めるんだって思うよ」
 幸せだと、実感出来る。
 啓太が居るから。
 啓太と出会う前、こんな事を思った事はなかった。
 決められた道に息が詰まりそうになり、猫なで声の自称友人たち。取り巻く大人達でさえ、世間的に見て『御曹司』である俺に諂う様な連中ばかりで、心から笑った記憶も曖昧だ。
 本当に、啓太が俺を選んでくれて感謝している。
「そんな事ないよ。和希は自力で色々手に入れてるんだよ。俺なんか邪魔ばっかりしてる」
 大きくため息をつきながら、成長したにもかかわらず、俺よりも一回り小さい体を預けてきた。
「謙虚なのはある意味美徳だけどな。『俺なんか』はやめろ。啓太は俺にとって誰よりも必要な人なんだからさ」
 心から伝えたくて、そっと唇を合わせた。それはすぐに、『そっと』と形容出来る様な物ではなくなったけれど。
「それで、啓太は俺と住んでくれる気になった?」
 唇を合わせた後の行為を当然のように既にお互いの体が要求していたが、確約が欲しくて問い直す。
「もう、離れているのは嫌なんだよ、啓太」
 啓太のシャツのボタンを外しながら、承諾の言葉を待つ。けれど、なかなかそれは得られない。これ以上の忍耐は出来ないのに。
「…一つ、条件がある」
 第四ボタンに掛かった俺の手を抑えて、啓太が真剣な目で俺をとらえた。
「一つじゃなくてもいいよ。啓太が俺と住んでくれるならどんな事でもするから」
 俺の返答に、啓太は再び眉間に皺を寄せる。
「和希のそれ、「俺の為なら」ってのはもう止めて。それと…こっちが条件なんだけど、次の購入物件は、和希が持ってる俺名義のその金から3分の2出す事。それをしてくれたら一緒に住んでもいい」
 了承してくれたのは嬉しいが、その割合がよくわからない。
「なんで3分の2なんだ?普通に半分ずつじゃなくて?」
 どんな物件を買ったとしても、所詮ココじゃ日本円で5000万くらいな物だ。プール付きの邸宅でも、だいたい1億もあれば手に入る。という事は買う物件の殆どを啓太が出すと言っている様な物だ。
「半分じゃなくて3分の2なのは、運用して増やしてくれたのは和希だから、それくらいのリスクを背負いたいって事。それに全部和希におんぶに抱っこで出来た資産だから俺の物だって思えないし…それでも和希の気持ちが嬉しいから、甘えてそうさせてもらう。それに…」
 啓太は一旦言葉を切って、ばつが悪そうに視線を反らせた。
「…この部屋のもう一室は、和希の仕事部屋のつもりだったから…一緒に住めるのは嬉しいし」
「啓太…」
 本当に。
 なんでこんなに俺を喜ばせる事に長けているんだろう。
「あ、でも。いくら不自由しない金額を提示されても、生活スタイルを変えるつもりはないからな」
「変えなくてもいいよ。啓太の生活が見れる方が俺は嬉しいし…自炊してるってことは飯作れるんだろ?」
「まあ、それなりには」
「じゃあ、俺の分も作ってくれるか?外食ばっかりで飽きてるからさ」
 さっと頬を染めた啓太は、何かの救いを求めるように俺のシャツのボタンに手をかけた。
「…そんなに美味くないよ?」
「それは食べてみないと何とも言えないから、食べさせて」
 状況も相俟ってか、いつもより数段甘い会話に二人でクスリと笑い再び唇を合わせた。
 それは先程とは違い、確実に情事に結びつくキス。
 絡め合った舌からお互いの想いが心の中心に注がれ、体は重力に逆らう事を止める。
「んっ…」
 啓太の手が俺の首に回り、体を摩り寄せる様に主張を始めた部分を誇示する。
 ここに来てから3回目の情事。
 初めての時は、以前は得られなかった啓太の手に酷く感動した。
 背中に回されている啓太の手を取って、指先から手首に掛けて丹念に舌を這わせる。
「あ…ナニ?」
 手にばかり愛撫をする俺を不思議そうに啓太は見上げ、甘くなった声で問いかけて来た。
「いや、やっぱりいいなって思って」
「何が?」
 一瞬迷ったが、正直に言う方をとる。
「啓太が俺に縋ってくれるのが嬉しい」
 啓太は体の熱とは別な理由で頬を染めた。
「…もう、それは言うなよ」
 過去を後悔している様子の啓太は、視線を反らせる。
「まあ、あれはあれで可愛かったけどな」
 喉元過ぎればなんとやら。不思議なもので、あの頃の必死に耐えている啓太も可愛かったと思えるのだ。
「よく言うよ。それの所為で一時期和希、俺の事避けてたじゃないか」
 啓太の頬の赤みが一瞬にして消え、憮然とした声で言った。
 愛撫の手を止め、思わず見つめてしまった俺に啓太は言葉を続ける。
「まあ、もちろん原因は他にもあったんだろうけどさ。…って、そう言えば、俺の事に飽きたんじゃなかったって事は、どうしてあの時俺の事避けたんだ?」
「そんな事蒸し返す?」
 かなり気まずい話題を振ってしまった事に今更気がついても遅い。
 興味津々といった啓太の目の前では、ため息一つで誤摩化す事は無理らしい。
「…あの時は、啓太は相手が俺じゃなくてもセックスさえ出来ればいいんだって思ってたからさ。自分の気持ちばっかり空回りしているような気がして全部が嫌になったって感じかな」
 あの時感じた啓太への嫌悪はそのまま自分への嫌悪だったんだと、こっちに来て一人になってから気がついた。我ながら馬鹿な事をしていたと、思わず笑ってしまった。
「…今は?」
「え?」
 視線を反らせたまま、啓太は不安そうに俺の腕をそっと掴んだ。
「今も、そんな風に思ってる?」
「そんな風って?」
「俺がセックスさえ出来れば誰でもいいって…」
 思いもよらなかった啓太の問いかけに、一瞬沈黙してしまう。
「あの時だって誰でも良かった訳じゃなかったけど…して来た事がして来た事だから、浮気とかしてるって思われてても仕方ないけど…」
「…凄い事言うな」
「だって…」
 不安そうな啓太の頬に、一つ大きな音を立ててキスをした。
「改めて言われると何となく不安になったから聞くけど、浮気してた?」
「っ…してないよっ!」
 俺の揶揄した口調にも気がつかない程、啓太は真剣に答える。
 以前の事を気にしているのは、俺よりも啓太の方らしい。
 俺は、正直に言えば全く気にしていない訳ではないが、気にしている部分は啓太の気にしている部分とは違う。俺に気持ちを隠して一人で苦しませるのだけはもうしたくない。見かけよりも溜め込むタイプの啓太を気が付かずに、外にはけ口を求められるのだけはもう御免だ。
「そんなに思いっきり否定しなくたって解ってるよ。今そんな事思ってるなんて誰も言ってないだろ?今はちゃんと愛されてるからセックスしてるって解ってるから」
「…ホントに?俺が和希じゃないと嫌だって思ってるの、解ってくれてる?」
 尚もいい募る啓太に、思わず笑みが湧く。
 さっきはあんなに理路整然と俺との生活を拒んでいた啓太が、二人の関係の話になったとたんに心細げに縋ってくる。こう言っては不謹慎だが、本当に愛されていると実感出来る。
「…『解ってる』って言うと、もう啓太その心細そうな可愛い顔は見れないかもしれないから、『解ってない』って言っておこうかな?」
 あからさまな俺の揶揄に、啓太は緊張を解いて頬を膨らませた。
「なんだよっ。こっちは真剣に言ってるのに」
「だってさ。上目遣いであんまりにも可愛く言ってくれるから、これっきりだと勿体ないなって思って」
「勿体ないって…もういいよっ!」
 啓太にも過去の事を笑って欲しかったのだが、少々やり過ぎた様だ。
 真剣に拗ね始めた啓太を慌てて腕に抱き込む。
「ごめん。浮気してるなんて少しも思ってなかったから…ちょっと調子に乗り過ぎた」
「ホントに思ってなかった?信じてくれてる?」
 啓太の手が再び背中に回る。
 これが啓太の愛情表現なんだと、今更ながらに実感する。
 表現出来なかったあの頃、どれだけ辛い思いをしていたのだろうか。
「信じてるよ。啓太の事はこれから先も、ずっと信じてる」
 この目も、頬も、唇も、全部俺のものになった。
 ずっと、ずっと欲しくてたまらなかった時間。
 心の底から愛し合える今が、本当に幸せだ。
 この時間がいつまでも続くと、信じてる。
 どちらからともなく唇を重ねた。
 再び口腔に啓太の舌を感じる。
 それは、あの頃と変わらないものだけど、確実に違うもの。
 心を開いて愛し合えると、甘い蜜の味がするものだと知った。
 絡め合い、それでも足りなくて上顎や頬の裏側にも舌を這わせ、お互いに吸い上げる。そんな事を繰り返す内に、話し込んだ所為で一旦落ち着いていた欲求が再び頭を擡げた。
 中断していた愛撫を再開させて、啓太の体に手を這わせる。
 背中から脇腹、そして胸へと指先を到達させた時、啓太の体がぴくりと跳ねた。
「…感じる?」
 耳を唇で挟みながら、そっと問いかける。
 答えは解っているけれどね。
「んっ…きもち、い…あっ」
 啓太の性感帯の一つの胸の突起をつまんで指の腹で撫で上げると、俺の太ももに押し付けられている啓太自身が強く主張した。その主張を、足を少し揺り動かして刺激する。
「あっ…はあっ…イイっ」
 啓太の腕が、無意識に俺の腕に縋る。
 その指先はまるで愛撫を施すかのように、肌を縦横無尽に彷徨う。
 所無さげなその手を肩に導き、啓太の履いているジーンズに手をかけた。
「啓太…」
 声をかけて、腰を浮かせるように合図を送る。
「んっ…和希も、脱いで?」
 既に夢の中と言った感じの啓太は、瞳を潤ませながら俺の耳元で囁いた。
「なら、ベッドに移動するか?」
 問いかけのように囁いて、啓太の体を抱き上げて足早に移動する。
 もう、そんなに悠長に構えていられる状態でないのはお互い様だ。
 リビングに続く二つのドアの内、右の部屋のドアを開けた。
「え…こっちでするの?」
 そこは、啓太が普段使っている左側のドアではなく、今まで空き部屋だと思っていた方のドアだ。
「こっちは、俺の部屋だったんだろ?一度も使わないで引っ越すのは癪じゃないか」
 今までに俺がこの部屋に泊まった事はたった一度きり。その時は勿論啓太のベッドで二人で朝を迎えたのだから、この部屋に通された事はない。
 俺の説明に、啓太は恥ずかしそうに俯く。
「だって…もっと来てくれると思ってたから…」
 一緒に学生をしていた頃は、頻繁に啓太の部屋を訪れていた事からそう思っていたのだろう。だが仕事に余裕があっても、啓太の多忙さを考えて実は少し遠慮をして足が遠のいていた。実情を聞いてしまえば、その我慢すら必要のなかった事だったと後悔するより他はない。
「最初から言ってくれればちゃんと使ったんだぞ?」
「…邪魔しちゃ、悪いと思って…」
 普段使っていないとは思えない程手入れされたそのベッドに、そっとその体を降ろす。
「啓太は前から俺に変な気を使いすぎるんだよ。もうちょっと自分の思う通りに主張してくれなくちゃ」
「変なって…」
「この部屋の件に関しては、俺も啓太の事は言えないけどね」
 お互いにしていた気遣いなど、もう必要ない。
 思った事を口にして、思った通りに行動出来るのだから。
「あ、そう言えば…」
 俺が自分の着ていたシャツに手をかけた所で、啓太は再び口を開いた。
「今度の家って…寝室どうする?」
 今、その事を相談している余裕は無いのだが、啓太に取っては目の前の行為よりもそちらが気になるらしい。それは啓太が口で言っていたよりも、二人の生活を望んでいてくれた事に他ならない。
「どうするも何も…一つに決まってるだろ?だいたい、この部屋にベッドがあること自体、俺的には納得いかない」
 恋人同士、一つ屋根の下に居て何故寝室が別なのか。
 このベッドメイク自体は、ハッキリ言って嬉しい。いつでも啓太が俺の事を考えてくれている証だから。でも、キチンとベッドを用意されていること自体が少し寂しい。
「だって、仕事してて眠くなった時、一々俺に気を使いながら隣に潜り込むよりは良いと思ったんだもん」
「…その辺が根本的に間違ってるんだよ」
「なんで?」
 訳がわからないという表情で、ベッドの上に座ったままで啓太は俺を見上げてくる。
 その顔がどれだけ威力のある物か、啓太自身は知らないらしい。
「気を使いながら隣に潜り込むのも、『恋人』の特権だろ?それくらい行使させてくれよ」
 『恋人』という所にアクセントを置いて説明する俺に、啓太は真っ赤になって枕を投げてよこした。
「なんでそう言う恥ずかしい事、平気で言うんだよっ!」
「平気も何も、事実だろ?」
「事実でも、口にして良い事と悪い事があるだろっ!」
 自分のシャツを脱ぎ終えて、尚も恥ずかしがっている啓太に覆いかぶさりながら、耳元で会話の終焉を乞う。
 そろそろ、次のステップに移りたいから。
「啓太と俺が『恋人』だって言う事は、悪い事なのか?」
 俺の言葉に、啓太は『うっ』とうなって黙り込む。
「啓太はそんなに俺の事『恋人』だって認識したくない?」
 そんな事を思っているなんて露程にも思ってはいないが、これ以上他の事に気を取らせたくないが為に、そんな意地悪な質問を投げかける。
 啓太は案の定、少し顔を曇らせた。
「そんな事…ある分けないじゃないか」
「なら別に怒らなくたって良いだろ?」
「っ…怒ってなんかない」
 端から見れば甘い会話。それさえも本人達は本気でしている。
 そんな自分達を真剣に愛おしいと思い、大切にしていきたいと思う。
「じゃあ次の家からはちゃんと行使させてくれるよな?」
 止めとばかりに唇が触れる寸前で囁くと、啓太は僅かに頷いて了承した。
「それじゃ、取りあえず今はその話は終わり…な?」
 指は既に啓太の胸を彷徨い、続く言葉を奪った…。





 情事の後、意識の無い啓太の体を整えながら、この先を思う。
 きっといつまでも、二人でいられる。
 こんな些細な事が、愛おしく感じる日常。
 いつまでもお互いの目には、お互いが映る毎日。
 何年経っても、何十年経っても、変えたくない。
 貴方が、かけがえの無い存在…。

 

 

END

 


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