2007年七夕

幾度の空を経て

07.07.07 UP



『急で悪いけど、ちょっと実家に帰ってきます』


 和希がそんな置き手紙を見つけたのは、出向先から直帰し、リビングに足を踏み入れた時だった。
「なんだよ…」
 本日7月7日。
 世間的に七夕であるこの日だが、和希と啓太にとっては、今の同棲生活を決めたちょっとした記念日でもあった。
 BL学園を卒業してすぐ一緒に暮らし始めた二人にとって、3回目の二人だけの記念日。
 一回目は啓太の誕生日。
 二回目は和希の誕生日。
 そして三回目のこの日は、前二つよりも濃厚に二人の絆を祝うモノだった。
 ………和希の中では。
 昨年、一年かけて七夕デートの計画を練った啓太は、今日のこの日をすっかり忘れてなのか、はたまたどうでもいいと思っているのか、二人の愛の巣からその姿を消していた。
「どういう事だよ…」
 二人が住んでいる場所と啓太の実家は、啓太が書き置いた『ちょっと』で済まされる距離ではない。その上現在の時刻は夕方の4時半。この後帰ってきたとしても、それはどう考えても夜中になってしまうと軽く推察出来る。
 呆然とメモを見つめていた和希は、はたと我に返り、啓太の携帯に電話をかける。
 もしかしたら今はもう帰りの電車の中かもしれない、と、一縷の望みをかけて。
 だが、無情にも2コールで電話は繋がった。
『あれー?今日早かったんだな』
 電話越しに聞こえる暢気な声に、和希の額に青筋が立つ。
「……悪かったな、早くって」
『何言ってるんだよ。今日はレセプションだって言ってたから、遅いのかなって思って言っただけだろ?何突っかかってるんだよ』
 電話越しに和希の機嫌を感じ取るのは、流石に付き合い始めて4年目の貫禄なのか。だがそれでも啓太は和希の機嫌を更に降下させる事を告げる。
『あ、それでさー。悪いんだけど、2・3日帰れそうにないんだ。洗濯もの放置してきちゃったから、やっといてくれる?』
「は…………」
 記念日をすっぽかした詫びもせず、あまつさえ洗濯物を頼まれた和希は、あまりの出来事に思考が停止した。
 だが啓太の攻撃はコレに留まらず、更に追い打ちをかける。
『後さ、和希のYシャツクリーニングに昨日出しといたんだけど、今日朝からコッチ来ちゃったから取りに行けてないんだ。伝票は何時もの所にあるからそれもよろしく』
 クリーニングに出しておいてくれたのは素直に感謝に値する。二人が住み始めるとき、自分で出来る事はお互い自分でする事と決めていた。だが何もこのタイミングで言う事ないじゃないかと和希は心の中で呟く。
 暫し黙りこんだ和希に、啓太はとどめを刺した。
『もしもーし、聞こえてるー?俺今からコッチの友達と会う約束してるから、そろそろ切りたいんだけど?』
 痛恨の一撃に座り込みそうになったが、何とか溜め息一つで落ち着きを取り戻してゆっくりと目を閉じる。
「啓太……今日何日か知ってるか?」
 少々据わった声で和希は問う。
 だがその声にもめげずに啓太はあっけらかんと言い放つ。
『え?何?何日って、何日だっけ?』
 和希はこの日を指折り数えて待っていた。だが啓太はカレンダーすら見ていなかったのだとこの時判明した。

 わかっていた。
 和希だってわかっていたのだ。
 啓太が細かい事を覚えているタイプではない事を。
 それでも………。

「7日だよ!7月7日!」
 思わず和希が叫んでしまったとしても、誰が責められるであろうか。
 いや、毎日一緒に過していて、更に他の世間が騒ぐイベントには嫌という程乗じているのだから、別にこの日くらいいいじゃないかとの意見もあるだろう。だが、記念日とは気にする人はとことん気にするモノなのだ。
『あー、そっかー。今日七夕だったんだー。でもまあ曇ってるし、関係ないよね?』
 16歳の啓太はそれでも少しは楽しみにしていた素振りがあった。だが和希の庇護のもと、心身ともに逞しく成長を遂げた啓太は、この辺りも大変に男らしく成長していた。
「七夕だけじゃないだろ!今日は俺達が一緒に住む事を決めた日だろ!? 何他の友達と約束なんてしてるんだよ!」
『だって、駅から出た所で会っちゃったんだもん。久しぶりに集まろうって急遽決まっちゃったんだよ…っていうか、一緒に住むって決めた日なんて、和希もよく覚えてるな』
 あははは、と楽しそうに笑って、『あ、友達来た』と言い残して啓太は電話を切ってしまった。
「………『来た』じゃないだろ」
 通話の切れた電話を片手に収めながら、和希は苛立紛れに己の頸を絞めているネクタイを引き抜く。そして素早く普段着に着替え、更に啓太に言いつけられた洗濯物に取りかかり、クリーニング店の伝票を手に時計を見つめた。
(………間に合うな)
 20分後に洗濯機が止まり、二人分のそれを干しても、時計はまだ6時前だった。
 和希は徐に車の鍵を握りしめて家を出る。
 向かうは当然啓太の実家。
(仕方ないから友達も一緒で我慢してやるっ)
 一度や二度突き落とされても、自分の意思は必ず通す。
 和希もまた、男らしい啓太にこの辺りは感化されたのか、逞しく成長を遂げていたのだった。


 車に乗る前に和希は啓太に簡潔に「コレから向かう」とだけメールを打つ。予定外の和希の行動対して啓太も別段怒る事もなく、30秒後に「OK」と一言だけ返信をする。その返信を確認して、和希は己の強欲さに苦笑しつつアクセルを踏み込んだ。記念日などと理由はつけていても、ただ単に啓太を束縛したいだけだと言う事は承知しているのだ。それでも受け入れてくれる啓太を和希は変わらずに愛しいと思い、啓太もまた年々主張が激しくなる和希を笑って受け入れる。啓太にとって束縛は息苦しいモノではなく、なんでも自由に出来ている様で何一つ自由が利かない和希の唯一の自由だからと、その主張を守りたいと思っていた。
 出会った頃には想像もつかなかった二人の関係は、幾度の空を経て変わったように見えるが、それは見える角度が変わっただけなのだ。慈しみに満ちあふれているそれは、雲がかかってもその向こうに星が瞬いているように、根底は何も変わらない。そしてこの先も変わるモノではないのだと、二人はそれぞれの空の下で微笑んだ。

 

 

 

END


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