「はぁ…」
俺は、今日何度目か分らないため息を付いた。
今日は午後から、ずっとため息を付いている。
「啓太、何度もため息など付いてどうした」
「あ…ごめんなさい」
ここは会計室。
今日は西園寺さんの誕生日なので、プレゼントを渡しに来たついでにお茶をご馳走になっているのだ。
いや、なんか今日のお茶は西園寺さんの誕生日の所為かやけに豪華だから、俺のプレゼントの方がついでに見えてしまうのは気の所為なんかじゃないだろう。
「伊藤くん。遠藤くんとの約束があるのなら、遠慮せずに行っても大丈夫ですよ?伊藤くんが今日、ここに来てくれただけで郁だって嬉しいんですから」
「そうだぞ、啓太。私も野暮じゃない。私の誕生日だと言う事は、世間ではバレンタインデーだからな。約束があるのだろう?」
「あー…まあ、あるにはあるんですけど…」
俺がため息をついているのは、別にこの後の予定の所為じゃない。
確かに予定はあるんだけど…その予定が実行されるかが今、微妙なのだ。
「どうしたんですか?また急に遠藤くんに仕事でも出来ましたか?」
「いえ、仕事じゃなくて…」
「ハッキリ言え、啓太。語尾を濁すなど男らしくないぞ」
性格が男の中の男な西園寺さんに言われると痛い言葉だ。
ホントに人って見かけじゃないよな。
そんな感想を持ちつつ、俺は今日の午後からあった事を2人に話した。
「…………成る程」
「それは…………お気の毒に」
話終えた頃には、西園寺さんと七条さんは、お腹を抱える勢いで笑っている。
そんなにオカシな話かな?
俺にはさっぱり分んないけど…。
今日は、和希は午後から授業に来た。
それは当然、午前中に仕事が入ったからで、別に体調不良とかじゃない。
っていうか、和希が咳してたり、鼻水出してたりしてる所って見た事ないんだよね。
和希曰く、『体が全ての資本だから、気を付けて鍛えてる』らしいんだけど。
元々かなり頑丈なつくりっぽい。
まあ、和希の体はいいんだ。
その和希が、お昼休みに教室に入ってくるなり、いきなり不機嫌になった。
いや、表面上はにこやかなんだよ。
でも、その笑顔が作り物だと分ってしまう位、目つきがブリザードを感じさせた。
そのマイナス40℃くらいの勢いの空気に、教室で昼飯後の昼寝を決め込んでいたヤツまで目を覚まして、とっとと教室を出て行く位だった。
絶対バナナで釘が打てた筈だ。
そして、一年レギュラークラスの教室には、目線を据え付けられてる俺と…2年の成瀬さんが残った。
成瀬さんは、大抵毎日昼休みは俺の教室にいるからね。
そのいつもの光景に、何故和希がこんなに不機嫌なのかが分らなかった。
和希がいようが居まいが、成瀬さんが昼休みに俺達の教室に居るのは変わらないのに。
そして大抵、俺は餌付けされている。
勿論今日も、美味しいカップケーキをご馳走になっていた。
当然、成瀬さんの手作りだ。
成瀬さんの手作りのお菓子は、本当に美味しいんだ。
美味しいのはお菓子だけじゃなくて、お弁当も勿論美味しいんだけど。
とにかく、成瀬さんは料理が得意な訳で、俺はしょっちゅうご相伴に預かっているという訳だ。
それで、和希だって一緒のときは食べてるんだ。
なんだかんだ文句言いながらだけど、和希も食べてるし、文句を言いながらも成瀬さんも和希の分を用意してくれる。
そんな、至極当たり前な日常風景だったのに。
「それで、遠藤はその時何か言ったのか?」
西園寺さんが、目尻にたまった涙を拭いながら聞いてきた。
「はい。『随分堂々とやってくれますね』って。でも、勿論和希の分もあったんですよ?」
ちょっと色が違ったけど。
普通に成瀬さんも和希の分を用意してた。
「…伊藤くん。成瀬くんの作ったカップケーキって、伊藤くんのはチョコレート味だったんでしょ?」
「えぇ!?何で分ったんですか?」
「そりゃぁ、分りますよ。遠藤くんのは?」
「バナナ味でした。そっちも俺も食べたけど、美味しかったですよ?」
「いや、美味いかどうかの問題じゃないだろう」
「…なんでですか?」
全く分らない。
だって、成瀬さんが和希に嫌がらせした訳じゃないし。
そりゃぁ、和希はいっつも『2人っきりが良いのにあの人はいつも邪魔する』とか言って、良い顔はしないんだけどさ。
俺だって友人関係は大切にしたいと思う訳で。
確かに成瀬さんは俺の事好きだって言ってるけど、あれって既に習慣みたいなもんになってる気がする。
愛称はいまだに『ハニー』だし。
でも、俺はちゃんと成瀬さんには和希と付き合ってるって言ったし、成瀬さんだって祝福してくれた。
『君が笑ってるのが一番だよ』って言って。
俺が、和希と付き合ってるって言った後は、キスとかはしなくなったし、ちゃんとケジメは付けてくれている。
それは和希だって分ってる筈なんだ。
だから、毎日成瀬さんが昼休みに来ても、何も言わないで一緒に居てくれる。
俺は、眉間に皺を寄せて考えた。
だけど、さっぱり分らない。
そんな俺の様子を見て、西園寺さんが小さく笑いながら助言をしてくれた。
「成瀬は、まだ啓太を諦めた訳じゃないとアピールしただろう」
………え?
そ・そんな事はないと思うんだけど…。
「バレンタインにチョコレートですからね。遠藤くんだって心中穏やかじゃ居られませんよ」
「だって、カップケーキですよ?それに、いつものおやつだし」
「でも、バレンタインにチョコレートという事には変わりは無いでしょう?」
「あ…まぁ」
そういうもんか?
和希はそれで不機嫌になったんだ?
「でも、別に俺からはあげてないですよ?」
「そうでしょうけど、やっぱり受け取るだけでも気分が悪いんでしょう。あれだけ毎日飽きもせずにアピールしていますからね。成瀬くんは…という訳で、コレは僕からです」
にっこり笑って、七条さんは美味しそうなチョコレートを差し出してくれた。
「あ、有り難うございます」
「いえいえ」
「…臣。啓太で遊ぶな」
「おや、心外な。僕は日頃の胸の内を伊藤くんに明かしただけですよ」
差し出されたチョコレートは、今日のお茶請けの為の物だったから、俺は何の気無しに口に放り込んだ。
「啓太も、いい加減理解しろ」
「え?何をですか?」
俺の間の抜けた返答に、西園寺さんは大きなため息を付いた。
「遠藤が不機嫌になった理由がそれだからだ」
それ…って、なに?
俺は、自分の周りをきょろきょろと見回した。
別に、コレと言って普段と変わりはないよな。
「啓太は、遠藤からチョコレートをもらったのか?」
額に掌を当てながら、西園寺さんはさも『貰っていない』事を前提な話し方をした。
いや、ホントに貰ってないんだけど。
「今日は外泊届け出して、美味しいもの御馳走してくれるって言ってたんで貰ってないです」
だって、チョコレートを贈るのは女の子だろ?
俺達にはあんまり関係のあるイベントだとも思えないけど、それでも恋人同士だからイベントに乗じて楽しもうとだけは思ってる。
それに、俺も和希もこの時期にチョコレート売り場に行ける様な頑丈な精神はしていない。
あれは…恐いと思う。
なんか女の執念が渦巻いている様な、そんなおどろおどろしい雰囲気があの売り場にはあるんだ。
どんなに可愛いポップを飾られたって、全然可愛く見えない。
まあ、貰えるのは嬉しいけどね。
俺、甘いもの大好きだし。
「伊藤くんは遠藤くんに渡したんですか?」
「いいえ。プレゼントは用意してますけど、まだ渡してないです」
やっぱり恋人だし、2人っきりの時に渡したいからな。
ちょっとウケ狙いだけど。
「それだ。啓太は遠藤からのをまだ受け取っていないのに、他のヤツからのを口にしたから遠藤は拗ねてるんだ」
……………えええええぇ!?
「あの人も大人気ないですからねぇ。ちゃんと伊藤くんの恋人の座を射止めてるのに、そんな事に目くじら立てるなんて、男が廃りますよ」
いや、だって…!
「でも!今朝から皆俺にくれますけど、受け取ったって別に和希はなんにも言わなかったですよ!?」
用意のいい人が、ちゃんと大きな紙袋をくれたんだ。
それに、今日貰ったチョコは全部入れてる。
俊介からも、デリバリーで届くし。
和希はそれを昼休みに知っても、その事については何にも言わなかった。
っていうか、みんな俺をからかって遊んでるだけだと思うし。
付いていたメッセージも『俺を愛人にしてくれ』とか、面白い物だったし。
取りあえず、今日で俺の愛人は18号までふくれあがったんだ。
中心はクラスのヤツだけどな。
「なんだ、『愛人』っていうのは」
俺の説明に、西園寺さんは秀麗な眉を寄せた。
「いつものオフザケですよ。和希が俺の本妻だから、後は愛人なんです」
「遠藤くん、本妻なんですかっ」
2人は、また激しく笑い出した。
いや、俺だって笑っちゃうけどね。
「クラスの奴らが言うんですよ。甲斐甲斐しく俺の世話をいつもしてるから、和希は俺の妻だって。そしたら和希が調子に乗って、『アタシの主人に触らないでちょうだい!』とか言ったもんだから、クラスのヤツ悪のりしちゃって…」
そして、この不毛なお遊びが始まった訳だ。
いや、別に良いけどね。
なんか俺、ハーレム状態らしいし。
それよりも、西園寺さんと七条さんは、和希の言った台詞に激笑いしている。
「あの人…っホントに何歳なんでしょうねっ」
「天才と何とかは紙一重だって言うからな…っ」
それは、西園寺さんにも七条さんにも言える事なんじゃ…?
2人とも天才だし。
「…伊藤くん。僕たちはあの人程面白くありませんよ?」
あ、出た。
七条さんの超能力。
俺、何にも言ってないのに。
「そうか…啓太は面白いヤツが好みだったんだな。それでは私達が遠藤に敵う訳がないな」
「この学園で、彼が一番面白い人物なのは確かですからね」
まあ、そうだよな。
普通、いくら子供の頃の約束があったからって、理由も無しに一度終わってる学生生活をやろうとは思わないよな。
微妙に逸れた話題に終止符を打ったのは西園寺さんだった。
「とにかく、啓太は今すぐ用意したプレゼントとやらを、遠藤に渡してやれ。そうすればヤツの機嫌も一発で治るぞ」
そういうもんなのかな?
「今日、プレゼントを渡すのは遠藤くんだけだって、ちゃんと付け加えるんですよ?」
「え、でも、俺今日西園寺さんにも渡してますよ?」
「それは、郁が誕生日だからでしょ?それともバレンタインのプレゼントなんですか?それなら僕も黙ってられませんね」
「えー、いや、誕生日プレゼントですけど…」
みんな、ホントに面白いなー。
確かに、天才と何とかは紙一重なのかもしれない。
この学園の人達、面白過ぎ。
「それなら、問題ないだろう。まあ、少し残念だがな」
「はぁ…」
そんなこんなで2人に言いくるめられて、俺はバレンタインのプレゼントを抱えて和希の部屋に居たりする。
和希はもう帰って来てて、不貞腐れた顔で出かける準備をしていた。
そんなに不貞腐れてても、出かけようと思ってた事がおかしいけど嬉しかったりする。
取りあえず、着替えに戻る前にと思って、俺は和希に包みを渡した。
ちなみに、ラッピングは成瀬さんにやってもらった。
俺、不器用だから、絶対リボンは縦になるんだよね。
まあ、それは和希に言うつもりないケド。
「これ、俺だけに?」
「うん。勿論」
和希は、西園寺さんの言う通りに瞬く間に上機嫌になった。
やっぱりあの2人は凄い。
「西園寺さんにもプレゼントは渡したけど、西園寺さんのは誕生日プレゼントだもん」
「…あの人も、紛らわしい日に生まれてくれたよ」
「西園寺さんも嫌がってたよ。貰うプレゼントがチョコレートになるって」
「ああ、西園寺さんは甘いもの嫌いだっけ」
和希はニコニコしながら、俺の渡した包みを開けた。
そして、固まった。
「………啓太、コレ、何?」
ちなみに、俺の渡した包みは結構でかい。
30cmの大袋だ。
そこには、俺の好きだった駄菓子を詰め込んでみたんだけど…滑った?
「和希、食べた事あんまり無いって言ってたから、俺が小学生の時によく食べてたのを選んでみた」
だって、今日のこの日に俺がチョコ渡したって、単に一つチョコが増えるってだけだろ。
和希は当然、結構モテる。
本人は義理だって言ってるけど、大体が本命チョコだと思うんだよね。
貰ってくるのは大抵研究所の所員の女性だったり、学園管理部門で働いてる女性だったりするけど、直接和希の部下になれる様な女の人だから、かなりの割合で才色兼備な人達だ。
特に、秘書課には美人が揃ってる。
俺は内心はあんまり穏やかじゃないけど、やっぱり男として美人が見れるのは目の保養だと思う訳だ。
そんな訳で、俺は黙認する事にしている。
和希が相手をしなければ、別に問題ないし。
「………あ、まあ、食べた事ないのばっかりだな」
「和希、お坊ちゃんだからなー。という訳で、俺のバレンタインのプレゼントは庶民の味でございマス」
和希は、袋の中から一つ一つ丁寧に取り出しては、舐める様に駄菓子を眺めている。
「…そんなに珍しい?」
「うん。見た事ない」
「子供の頃に、買い食いとかしなかったのか?」
「ああ、しなかったな。こういう物は体に悪いって言って、禁止されてた」
うわぁ…ホントにそんなヤツ居るんだ。
俺が驚いている間に、和希はふ菓子を取り出して、不思議そうな顔をしている。
「あ、それふ菓子だよ。ぼろぼろするから気を付けて食べて」
「ふ菓子?へぇ…でも、駄菓子って酒のつまみと大して変わらないのな。コレ、イカの薫製?」
そうか。
駄菓子は知らなくても、酒のつまみは知ってるか。
最初は不思議そうな顔をしながら見聞していた和希だったけど、袋の中身が半分を過ぎたあたりから興味しんしんな顔つきになった。
よかった、滑らなくて。
和希は気になった物の袋を開けて、口の中に放り込んだ。
途端、眉間に皺がよる。
「…まずい?」
「いや…まずいって言うか…不思議な味だな」
「俺、うま●棒好きなんだよね」
「…へぇ…」
あ、コレはあんまりお気に召さなかった時の反応だ。
庶民の味は失敗だったかな?
和希は飲み込んだ後、袋を眺めながらぽつりと呟いた。
「…日本酒が欲しくなる」
…そう来ましたか。
流石にそれは用意出来ません。
お酒は20歳にならないと買えないんです。
和希はふと時計を見て、床に散乱させていた駄菓子を片付け始めた。
「さて、啓太も着替えて。コレのお礼に、今日は美味しいもの御馳走するから」
「…でも、お返しってホワイトデーなんじゃないの?」
「それはソレ。今日はバレンタインだからな」
うーん、よく分らない。
俺が眉を寄せると、和希は笑いながら俺の頬にキスをくれた。
「啓太だって俺にくれただろ?俺だって啓太に渡したいよ」
まあ、そうか。
俺達、男同士な訳だし。
どっちにしても、和希とデート出来るのは嬉しいので、素直に立ち上がった。
「啓太」
「ん?」
立ち上がった俺の背中から抱きついて来て、和希は俺の耳元で少し熱い息で囁いてくれた。
「愛してるよ」
「…ん、俺も」
その吐息が、ちょっと駄菓子な香りだったのが笑えた。
結局、和希が俺に用意してくれてた物は、俺が用意していた物の、おそらく100倍くらいする物だった。
予約してくれていたレストランは、和希の知り合いの人が経営している所だって言ってたけど、そこは正当なフランス料理のお店で。
何とかの何とかソースとか、子羊の何とかとか、つまりは俺には理解不能な言語の料理がコレでもかって位並べられた。
料理の名前は分らなかったけど、全部美味しくて、俺的にはバレンタイン万歳な気分にさせてくれた。
そして、和希は部屋で呟いた言葉を実践して、フランス料理に日本酒を飲んでいた。
今はまだ一緒に楽しめないけど、そのうち俺が大人になったら一緒に飲もうねって約束もして。
だから、俺は思ったんだ。
来年は別の物を用意しようと思ってるけど、俺が20歳になった年のバレンタインは、また和希に駄菓子をプレゼントしようって。
それで、2人でお酒を飲むんだ。
でも、今年のホワイトデーをどうするかが、俺の新たな悩みとなった。
絶対倍返しは出来ません…。
はぁ………。
結局今日の締めは、午後から延々と続いているため息な俺だった。
END
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