2007年丹羽誕生日

Caro laccio

2007.08.26UP





 BL学園で共に過した日々から既に5年。本日8月15日、丹羽哲也が恋人の啓太と共に迎える4回目の誕生日だ。
 二人は午前中から待ち合わせをして、お盆時期の混雑にもめげずに有名なテーマパークへと足を運び、恋人同士の時間を満喫した。そして仕上げに丹羽の地元で夕飯と言う名の酒の席を楽しんでいた。

 啓太の高校卒業と同時に二人はお互いの家族に二人の関係を暴露した。それまでは親友として紹介していたのだが、それでは二人に先は無いと、二人は一大決心で告白したのだ。だが、親とは子供が思うよりも子供の事を見ているものなのだ。どちらの親も「何を今更」くらいの薄い反応で、駆け落ちも辞さない勢いだった二人はかなり拍子抜けをしたものだ。そんな経緯もあり、二人は今、お互い実家に住みつつも関係を続けている。そして丹羽の誕生日の今日、啓太は丹羽の実家の近所の居酒屋にて、丹羽の誕生日を祝うのだった。
「哲也さん、23歳おめでとー!」
「サンキュー!」
 暑い盛りにぴったりの生ビールのジョッキを勢いよく合わせて、恋人同士の甘い雰囲気など欠片も見せずに二人は笑い合った。だが、二人の関係はお互いの家族所か、何故かご近所にまで広まっていて、幼い頃より丹羽を知っていた居酒屋の主人まで一緒になって笑っている。
「そうかー、哲ももう23か!おじちゃんも年をとる筈だなー」
 下町の小さな居酒屋は、他のチェーン店などでは混雑時間なのにも関わらず、略丹羽と啓太の貸し切り状態だ。つまみを運んできてくれた主人が丹羽に向かって感慨深く呟くと、啓太はけらけらと笑いながら気さくに話に混ざる。
「えー?おじさんそんなに老けて見えませんて!まだまだ現役でしょ?」
「まったく啓太君はよく気がまわる嫁さんだな!哲、いい人貰ったじゃねぇか!おじちゃんも後20年わかけりゃ、哲から略奪愛だな!」
「またまたぁ!おじさんこそ口がうまーい!でも俺は嫁さんじゃなくて婿さんですよぅ!」
 いや、同性では嫁さんも婿さんも無いぞと、本日の主役である筈の丹羽は心の中で突っ込みを入れる。だが、二人の暴走は止まらなかった。
「なんでぇ。って事は哲が嫁さんかよ!こりゃまた随分と図体のデカイ不気味な嫁さんだなぁ!」
「何言ってるんですか!こんなにカッコいいお嫁さんなんて、世界中探したって見つかりません!」
 テンション高く話し続ける二人を眺めつつ、丹羽はこっそりとため息を付いた。
 じつは丹羽は、啓太と二人で静かに過せる場所を考えていたのだ。そこで男・丹羽哲也の一世一代の大イベントを企画していたのである。
 丹羽はこの日、啓太に打ち明けようと決めていた。
 それは高校を卒業する時からずっと願っていた事だった。

 一緒に住みたい。
 この先の人生を二人で共に歩みたい。

 常に隣で笑ってくれている愛しい恋人。
 付き合い始めて5年。付き合い始めと何ら変わりのない可愛い人。いや、付き合い始めた頃よりも、恋心は成長していた。啓太を見る度に感じる幸せや、愛しさ。ちょっと人には言えない様な感情も以前に比べて格段にパワーアップしている。高校時代は全寮制で、本人達が望もうが望むまいが一つ屋根の下にいたのだが、今はもう別々の屋根の下。それでも学生の中は我慢をした。親のすねを齧りながらの同棲など、丹羽の男の沽券が許さなかった。そして学生では啓太を守る事は出来ないと。幸せな生活の全てを啓太に与えたいと思っていた丹羽は、どんなに啓太と暮らしたいと思っていても、決してそれを口に出す事はしなかった。また、啓太も同じ様な考えなのか、啓太の口からも「一緒に住みたい」という言葉は出た事が無かった。
 だが今年、丹羽は学生生活を終えた。誰に憚る事無く啓太を傍に置く事が出来るのだ。それでも誕生日のこの日まで口に出さなかったのは、丹羽の精一杯の啓太への思い故だった。
 丹羽から見る『啓太』という人物は、かなりの乙女思考の持ち主だった。記念日は大好きで、服装もメンズの流行よりはレディースの流行を追っている物が多い。故に、所謂『プロポーズ』にも多大な夢を持っていると思っていたのだ。だからこの日の為に丹羽は大学時代からバイトを重ねて、更に就職してから貰っている給料も、二人のこの日の為に貯蓄してきていた。当然その後の生活の為でもあったのだが、何よりも啓太が感激するシチュエーションを揃えようと、昔からデリカシーが無いと攻め続けられている己の思考と戦いつつ、一生懸命計画を練ったのだ。
 だが、その意見を覆してこの場所を決めたのは啓太だった。理由は、飲み過ぎてもそのまま丹羽を送れるからという、何とも男らしいというか、合理的と言うか、ロマンスの欠片も見当たらないものだったりする。
 それに…。
(どっちかっていうと、いつも潰れるのは啓太の方じゃねぇか…)
 二人ともそこまで酒豪という訳でもないのだが、基本的に酒の好きな二人はよく飲んでいた。故に『いつものパターン』というものも出来上がっていたのである。そしてその『いつものパターン』を考えて、丹羽は啓太にストップを入れた。
「啓太、今日は飲み過ぎんなよ」
 この後の予定を考えて、丹羽は啓太の前に置かれているグラスを取り上げた。場所は違ってしまったが、それでもまだ宵の口。コレから下調べ万全のロマンチックな場所に移動しての一大イベントは十分に可能なのだ。
「なんでー?今日は哲也さんの誕生日だよ?無礼講でしょ!」
「お前が無礼講すると、後の予定がおじゃんになる」
 丹羽の言葉を受けて、啓太はポッと頬を染めた。
「やだーっ!哲也さんのえっちー!」
「え………ちっ?」
 既に酒がまわっている啓太が、またもやテンション高く丹羽に軽く拳を入れると、カウンターの中で啓太の注文を用意していた店の主人がカラカラと笑う。
「何言ってんだ啓太君は!男がえっちなのは当たり前だろ!哲が正しい!」
「おじさん!俺だってえっちだけど、それでもこんな人前でなんて言えないですー!だから哲也さんは普通のえっちじゃなくて、凄いえっちだって言いたかったんですー!」
 己の意図する所と違う所で、再び二人を盛り上げてしまった丹羽は、がっくりと古ぼけた机にうつ伏せた。そして止めのように店の主人が、丹羽の前にグラスを置く。
「そんな哲に、おじちゃんから誕生日プレゼントだ!こりゃ効くぞー!明日は啓太君はマトモに歩けねぇぞ!」
 何やら精力増強の漢方らしきものが入った瓶を見せつつ、店主は丹羽にそれを注いだ。そしてその様子を啓太は至極楽しそうに見つめる。
「おじさん、コレなんですか?」
「コレか?お約束のスッポン酒だ!啓太君も頑張って仕込んでもらえ!」
「わっかりましたー!俺、頑張って哲也さんの元気な赤ちゃん生みます!」
「いい心意気だ!流石は啓太君だ!」
(俺の…俺の一世一代のイベントが…!)
 なんだか色々突っ込みどころ満載な二人の漫才に、丹羽は半ばヤケになってそのグラスを一気に煽った。そしてその様子はお約束のように啓太を盛り上げてしまう。
「哲也さん素敵!いい飲みっぷり!俺も覚悟決めなきゃー!」
 きゃらきゃらと楽しそうに手を叩く啓太に、丹羽は再び心の中で叫ぶ。
(その覚悟じゃなくて違う覚悟を決めてくれーっ!)
 人には見えない所で血の涙を流していると、更に追い打ちがかかった。
「あ、来た来た!おとーさん!おかーさん!遅いですー!」
 ガラリと店の引き戸を開けて新たに入ってきた客は、丹羽が朝顔を合わせた丹羽の両親だった。
「おう!わりぃな!ちょいと仕事が長引いちまってよ!」
「啓太君ごめんねー。あたしも用意が手間取っちゃって!」
 丹羽家は全員体格がいい。丹羽の父もかなりの高身長だが、丹羽家は母ですら身長が175cmもある。ゴージャスな二人を迎えて、只でさえ小さい店は既に息苦しささえ感じる狭さに成り果てた。
「なんで親父とお袋が来てるんだよ。俺、聞いてねぇぞ」
 二人っきりのロマンチックな夜を一生懸命計画したというのに、コレではいつもの自宅の様子と変わらないじゃないかと、丹羽は憤慨する。しかも丹羽家で丹羽の誕生日を家族で祝ったのは、丹羽の記憶にある中では小学生になったばかりの頃だけだったのだ。
「俺達は啓太に呼ばれたんだよ。不肖の息子が誕生日だってんでな。いやー、俺はすっかり忘れてたんだが、啓太に怒られてなぁ。いやぁ、哲也、いい嫁さん捕まえたなぁ」
 丹羽の両親が席につくと、店主は注文も聞かずに両親の前にビールのジョッキを置いた。またそれをいつもの事なのか、二人は違和感を表す事無く口を付ける。
「だからー!おとーさんも、俺は婿さんなんです!」
「なんだぁ?じゃあ哲也が嫁さんなのか?こりゃまた随分と図体のデカイ不気味な嫁さんだなぁ!」
 がははと豪快に笑いながら、先刻店主が言った台詞と寸分違わずに実の父に言われて、丹羽は再び首を足れた。
「どうせ俺は不気味だよ…」
 去年までは別にこのノリで丹羽には不満は無かった。いや、来年からだって別に自分の誕生日がこのノリなのは不満は無い。だが、今年は違うのだと心で涙を流し続けていると、愛しの恋人が声を高らかに宣言した。
「それでは皆さん揃った所で、本日の秘蔵の一品とともに哲也さんの誕生日会を開始したいと思います!」
 宣誓とともに啓太は自分の鞄をごそごそと漁って、一升瓶を取り出した。その銘柄に店主は勿論、丹羽の両親も目を見開いた。
「すげぇ!そんなんどこで手に入れたんだ!?」
 ラベルには某有名な日本酒の名前が刻まれ、だがラベル自体が市販のものとは異なっている。極めつけにタイトル横に記されている『一番樽・大吟醸』の文字に、丹羽以外の人々の視線は釘付けだ。
「入手ルートは明かせませーん!俺の特別極秘ルートなんで!」
「お前の場合、特別でも何でもないルートだろ…」
 楽しそうに一升瓶を差し出しながらの啓太の言葉に、丹羽は間髪入れずに突っ込みを入れる。幼い頃からラッキーボーイとして生きてきた啓太には、齢21にして幸運な人脈も揃っている。その中には日本どころか世界の経済をも動かす人物もいたりして、なかなか普通では体験出来ない様な事も軽くやってのけるのだ。
「ざーんねん!今回は和希じゃないもーん。今回のルートは哲也さんにも秘密☆」
 うふふと小さく笑って、普通の21歳の男がやれば不気味以外の何ものでもないポーズをとりつつ、啓太は可愛く丹羽に抱きついた。
「いちゃつくのは後にしろ!俺はすぐにそれが飲みてぇ!」
 主役を差し置いて主役の父は、一升瓶に手を伸ばす。その大きな手を丹羽母はぴしゃりとたたき落とした。
 店主がちゃっかりと自分用のグラスをプラスしてテーブルに配置したのを皮切りに、丹羽誕生日は賑やかに本幕を開けたのである。







 朝日が目に痛い。
 丹羽が最初に感じたのはそれだった。
 肌に慣れたタオルケットを体の上から退去させ、ふらつく足取りで慣れた自室の窓に向かう。
(頭痛てぇ…)
 朝の空気を部屋の中に取り込もうと窓を開けたとき、ふと違和感を覚えた。
(…あれ?俺、いつの間に自分の部屋で寝たんだ?)
 確か夕べは自分の誕生日で、近所のなじみの居酒屋で、啓太と両親と楽しんだ。そして啓太が秘蔵の酒を出してきて、それを楽しみつつ…。
(すげえ勢いで皆で飲んだのは覚えている様な…)
 振り返って自分のベッドを見ても、啓太の姿は無かった。
 いつ啓太が帰ったのか。いや、それ以前に……
「あーーーーーっ!!!!」
 啓太の顔を頭に思い描いた所で、昨日の己の計画を思い出した丹羽は絶叫した。
 なんの為に4年の歳月をかけて頑張ってきたのか。
 啓太に最初に「飲み過ぎるな」と注意したのは何の為だったのか。
 己の失策に卒倒しそうになったとき、階段を駆け上がってくる誰かの足音に丹羽は我を取り戻した。
「哲也さん!? どうしたの!?」
 がちゃりと丹羽の自室の扉を開けたのは、自分の家に帰ったと思っていた啓太だった。
「なんだ…お前、いたのか」
 記憶がなくなるまで飲んだ上に、恋人を送らなかったという丹羽的には許されない行動は避けられていた事に少し安堵しつつ、相変わらずな言葉を啓太に告げる。コレが高校時代なら啓太も怒る所であるが、啓太もいい加減丹羽のこの手の発言に慣れていた。
「いましたよ。今日は下で寝てました。で、さっきの絶叫は何?寝ゲ●した?●精した?」
 何か他に言い様は無いのかと啓太の言葉にも疑問を持つが、そこはもう4年の付き合い。二人の間に遠慮と言う文字は存在していなかった。
「してねぇよ!っていうか…あーもうっ!」
 啓太の顔を見て、更に計画の失敗を突きつけられた気がした丹羽は、築30年の家の二階の床で地団駄を踏む。すると即座に階下から父親の怒鳴り声が響いた。
『馬鹿やろう!もっと家を大切にしろ!壊れたらおめぇが建て替えろよ!』
 普段と全く変わらない生活感に溢れた状況に、丹羽は再びベッドへと戻り、タオルケットに大きな体を収めようと丸まった。
(次のイベント事まで待つのか…そんなに待たなきゃいけないのかっ!)
 準備万端整っているのに、丹羽の誕生日の次のイベントと言えばクリスマスだと考えて、長い4ヶ月に涙が流れる。
 直ぐに一緒に住みたい。もう一分一秒だって待っていられない。朝啓太が傍にいる喜びを、いつもの事として捉えたい。
 だが、己の要求のみではなく、啓太の夢もやはり叶えたいのだ。それ程丹羽は啓太を愛している。
 タオルケットの中で悶々としていると、ベッド脇から啓太の呆れた声が丹羽に降り落ちた。
「ちょっとー。今日はそんなに悠長に寝てる場合じゃないでしょ?俺の家に挨拶に行くんじゃないの?」
 啓太の言葉に丹羽はタオルケットの中で首を傾げる。一昨日の予定では、今日は啓太の買い物に付き合うと約束をしていたのだ。その上、啓太は午後からバイトが入っているからと、お昼を食べた所でデートは終わりだと言っていた筈なのだ。
「おかーさんはもう朝ご飯食べ終わって仕事に行っちゃったよ。おとーさんも一緒に朝ご飯食べちゃったから、後は哲也さんだけなんだよ。早く食べて行こうよ。あ、ちなみにおとーさんも一緒に挨拶に行ってくれるって言ってるよ」
 続く啓太の言葉に、丹羽の疑問は更に深まる。
 親同伴で挨拶とは何ぞや。一体何事かと。
 いくら考えても出ない答えに、丹羽はムクリと起き上がって素直に啓太に問うた。
「…何の挨拶だ?」
 丹羽がタオルケットから出た時には、声と同じように呆れた顔をしていた啓太だったが、丹羽の言葉を受けて、段々と表情が曇って行く。その様を不思議な思いで眺めていた丹羽だったが、啓太の青い大きな瞳からぽろりとこぼれ落ちた水滴を見て、何か自分がとんでもない失敗をしている事に気が付く。
 だが、気が付くのが少し遅かった。
 常ならば、啓太は泣く事に恥じらいを持たないかのように素直に声を出して泣くのだが、今回は違った。ぽろぽろと大粒の雫を零しながら、惚けている丹羽の顔を眺め続ける。
「………啓太?」
 一切口を開かない啓太に、丹羽は恐る恐る問いかけるが、啓太はやはり口を開かなかった。そしてそのまま何も言わずに静かに丹羽の部屋を出て行った。
(なんだ…?何がマズかったんだ?)
 少ない言葉の遣り取りを思い返しても、所詮は二言三言の遣り取りの中では何かを見出す事は出来ない。
 とにもかくにもまた泣かせてしまったと丹羽は慌てて自室を出て啓太を追うと、啓太は静かに丹羽家のキッチンで丹羽の朝食の支度をしていた。
 家族に付き合いをオープンにしてから、啓太は専業主婦ではない丹羽の母に断りを入れて、丹羽の家に泊まりにくる時には度々キッチンに立っていた。普段は明るいその背中に声をかけるのだが、今日は普通に声がかけられる雰囲気ではなかった。そう、例え直前に啓太の涙を見ていなくとも、その背中が丹羽を拒絶していたのだ。
 それでもそれに怖じ気づいていては話は先に進まないと、丹羽は啓太の傍に歩み寄る。
 丹羽が背後に立つと、啓太は普段通りの声色で口を開いた。
「今シシャモ焼いてるから自分でご飯よそって持って行って。直ぐにお味噌汁と一緒に並べてあげるよ」
 話の内容も普段通りなのだが、やはりそれ以上の言葉は啓太からは出なかった。
「啓……」
「コーヒーはテーブルの上に入れてあるから」
「啓太……」
「おかーさんが洗濯機回して行ってるから干しておいてって言ってた」
「啓太っ」
 淡々と進む必要事項のみの言葉に、丹羽は今までの啓太の怒りとは違うものを感じて、成人したにも関わらず、変わらない華奢な肩を思いっきり掴んだ。
「哲也さん…痛いよ。それに朝ご飯用意出来ないよ」
「朝飯なんざどうでもいい。ちゃんと話ししてくれよ。お前が何を怒ってるのか、ホントにわからねぇんだ」
 丹羽の言葉に漬け物を切っていた包丁をかたんと置いて、啓太は俯く。
「………別に、怒ってない」
 静かな声には、確かに怒りは感じられなかった。だが、それ以上の何かを丹羽に訴えていた。
「じゃあ、なんで泣いたんだ。俺に何か思う所があったんだろ?」
 華奢な肩をつかんだまま、それでも無理に振り向かせる事無く丹羽は言葉を続ける。常の喧嘩の時ならば必ず相手の目を見ながら言い合いをする二人だが、今回は雰囲気が違った。丹羽にとっても啓太にとっても、今回の事は喧嘩ではないのだ。
 だだ、二人の思考のすれ違いだとわかっていたのだ。
「ちょっと…自分が情けなくなっちゃっただけ。酔った勢いの言葉を真に受けて、すごい嬉しくて…。でもよく考えてみれば、今まで哲也さん、そんな事言った事なかったもん。俺なんかとそんな事、ある訳ないって分ってるから…」
 まな板の上にぽとんとまた大粒の涙が落ちる様と、啓太の言葉を真剣に丹羽は捉える。そして世間的に優れていると称される頭で真剣に考えた。
 だがやはり、情報が少な過ぎた。
 夕べの記憶が一切ないのだから、丹羽自身が啓太に何を言ったのか、それに対して啓太はどのくらい喜んだのか。今、忘れている丹羽を見て、常ならない涙を流す程傷ついた事柄とは一体なんだったのか。
 丹羽が啓太の顔を覗き込もうとした所で、静かに台所の入り口から声がかかった。
「……ちょっとこい」
 振り返ればコチラも普段の顔つきとは違う父が立っていた。
「んだよっ」
 年齢を重ねた今では悪友感覚の父の厳格な声に、丹羽は今日はどんな日だと首を傾げる。
 父に促されて父の書斎に入った所で、丹羽の父、竜也は直裁に丹羽に問うた。
「お前、夕べの事覚えてないのか?」
 一緒に飲んでいた父の言葉に、丹羽は眉を顰めながら頷いた。
 綺麗さっぱり何も覚えていないと。気が付いたら朝で、覚えているのは啓太が持ってきた一升瓶を半分あけた所までだと告げると、竜也は深い溜め息をついた。
「お前らが真剣に付き合ってるのもわかってたし、コレだけ年月流れればソウイウ話になるだろうとも想像はついていた。だから昨日のお前の言葉だって皆で素直に祝福したし、啓太だって喜んでいた。だがな…せめてそのくらいは意識のある時に言いやがれ。本気にした相手が可哀相だろ」
 丹羽は更に思考を真剣に巡らせて、父の言葉と啓太の態度から夕べの自分の言動を考える。総合すれば何か重大な事を言ったのだとわかるのだが、それでも所詮その程度だ。丹羽は子供の頃からの癖で、悩みながら頭を掻きむしった。
「ほんっとに何言ったか覚えてねぇんだよっ。頼むからストレートに教えてくれよ。啓太が泣いてんだからよっ!」
 かなりの頻度で丹羽は啓太に涙を流させてしまうのだが、それは当然本意ではないのだ。今の丹羽の苦手なものをあげれば、一位は相変わらずネコであるが、堂々の二位に輝いているのは啓太の涙だ。啓太の涙を見ると冷静でいられなくなる。例えタマネギを切っていて涙が出てしまっている啓太を見ても、瞬間的に何か自分がまたやらかしたのかと考えてしまう程なのだ。
 竜也は息子の様子を見て、再び大きく溜め息を付きつつ夕べの様子を具に丹羽に話して聞かせた。それはもう、身振り手振り付きで。
 丹羽は、告げられた事実に呆然とした。



「…………え」
 父の言葉を聞いた直後の丹羽の言葉は、コレだった。
 コレしか言葉は出なかった。
 夕べ、丹羽が酔った勢いで啓太に向かって何を叫んだかと言えば………。

『啓太ー!俺と結婚してくれー!』

 ……という事である。
 それは、丹羽が計画していたロマンチックな告白とはかけ離れていた上に、何故に記憶のないうちにそれをやらかしてしまったのか。もっと啓太が感動するシチュエーションで、一生の思い出に残る感動的な場面にする筈が、小さな汚い居酒屋で、その上両親と近所のおいちゃん、プラス彼女と旅行に行っていた幼馴染みが帰ってきてついでに同席していたその場で、4年も計画してきた事を自ずからぶち壊していたのだ。
 だが、記憶にはないが、言葉には嘘はない。
 確かに嘘はないのだが、やってしまった事に対するショックと、覚えていなかった事に対する啓太の言葉を思い出して、丹羽は青ざめた。先程啓太は覚えていない丹羽に対して、丹羽にはその気はなかったと思っていると言ったのだ。それは4年の間、一度も同棲や将来について語らなかった事について、丹羽と啓太は別の考えのもとに言葉にしなかったという事に他ならない。丹羽は4年の間、啓太が言い出さないのは己と同じ考えだと思い込んでいただけに、付き合い始めてからの最大の失策に、父の書斎の入り口にしゃがみ込んでしまった。
「………で、意識のある哲也に聞くが、夕べの言葉は酔った勢いか?それとも本気なのか?」
 落ち込んでいる息子に、楽しそうに竜也は煙草に火をつけながら声をかける。何が真意なのかは当然わかっているのだが、可愛い息子はからかうととても楽しいと知っている父は、機会を逃さない。昔の丹羽ならば食って掛かる所だが、23歳にもなれば流石にその手には早々乗らなかった。その上今、丹羽は落ち込んでいるのだ。とてもではないが付き合う気にはなれない。丹羽は落ち込みつつも、不思議に思った事を素直に父に問いかけた。
「っていうかよぉ。親父は何とも思わねぇのかよ。孫の顔は見れないぜ?」
 丹羽とて、親心はわかっているつもりだ。それでも譲れない啓太との間柄故に、4年も計画を温め、その上啓太に了承を取り付けた上で両親に打ち明けようと思っていたのだ。そしてその時は7割の確率で反対されると思っていた。どんなに愛し合っていても、所詮は男同士。家庭は作れても、家族は増えないのだ。
 丹羽の言葉に父は薄らと笑って、タバコの灰を灰皿に落とす。
「んなこた、最初っからわかってる事だ。お前達が俺らに付き合いを打ち明けた時に、啓太も俺らに謝ってるしな」
「………あ?」
 初めて聞く自分の父と啓太の遣り取りに、丹羽は驚きを隠せなかった。
 丹羽にとって啓太はただ可愛く、守るべき存在で。常に明るく丹羽との関係を楽しんでいた風の啓太が、まさか自分の親にそんな事を言っていたとは露程も思っていなかったのだ。
 呆気にとられている丹羽に、竜也は呆れたように言葉をかけた。
「ホントにお前はバカだな。啓太の股間をお前は何度も見てるんだろ?というより、俺から見ればお前よりもよっぽど啓太の方が男らしいぞ」
 普段の啓太の様子を思い浮かべて、更に丹羽は首を傾げる。可愛げな服装に、仕草。それらは男らしさからはかけ離れていたし、啓太自らそれらを追い求めているように見えていたのだ。
 不思議そうな顔をした息子に、竜也は息子と同じように頭を掻きむしりながら、仕方ないとばかりに口を開いた。
「お前は顔に似合わず理論建てて統計的に物事を考えるのは得意なようだが、人の本質を深く考えるのが苦手みたいだな。大体考えてみろ。あの言動をする人間が、好んであんな格好や髪型すると思うか?全部お前の為だろうが。それにウチに来始めた頃よりも格段に台所の手際だって良くなってる。アレは絶対必至で家で練習してるな。やってる事は女の代わりかもしれないが、男がそれをやるのにどれだけの覚悟と根性がいるか、お前だってわかるだろ。それが出来ないお前よりも、俺は啓太の方がよっぽど男らしいと思うな。いや、その点に関しては俺も啓太には負ける」
 うんうんと感慨深く頷く父に、丹羽は言葉が出なかった。
 付き合い始める前の高校時代を思い返せば、確かにそうなのだ。どこにでもいる普通の男子生徒。それが啓太の第一印象だった。多少顔の作りは可愛いなとは思ったが、それでも外出の時の普段着は普通にメンズの流行を追ったものであったし、最近は興味を示している料理など、それこそ食べられればいい程度の興味しかなかったのだ。
 丹羽とて自身がどれだけ啓太に愛されているかはわかっていた。だが、細かい所まで見ていられなかった事実は認めざるを得ない。そして、啓太がどれだけ丹羽との生活を望んでいたかという事を理解していなかったという事もだ。丹羽が自分の沽券を気にして努力していた間、啓太はひたすら耐えていた。そして努力をしていた。丹羽が望む家庭を作れる相手になる為に。丹羽が、己を家族にと望んでくれるように。


 やってしまった失敗をくよくよ悩んでいても仕方ないと、丹羽は竜也に背を向けた。そして足早に啓太のいる台所へと向かった。
 相変わらず啓太はシンクの前に立ち、涙に視界を邪魔されながらも必至に丹羽の朝食の支度をしていた。そして台所に丹羽が入ってきた気配を察して、慣れた手つきでお膳の用意を始める。そんな啓太の背中に丹羽は声をかけた。
「啓太、悪かった」
 素直に謝罪を口にした丹羽に、啓太は涙声で答える。
「………別に、哲也さんが謝る事じゃないよ。俺が勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んでるだけだから」
「そうじゃねぇよ。お前に勘違いさせ続けてきた事に対して、俺は謝ってんだ」
 啓太の手にしていたお盆を取り上げて、キチンと話をする体勢を整えようと、丹羽は啓太の細い手首を掴んだ。そしてそのまま啓太の手を引いて、自室へと戻る。その間、啓太は丹羽の行動を阻止する事も無く、ただ従順に従っていた。
 少し立て付けの悪くなったドアを開けて、丹羽は啓太を寝乱れたままのベッドへと座らせる。相変わらず瞳に涙を称えたまま、啓太はじっと丹羽の自室の床を眺めていた。
「……ちょっとは落ち着いたか?」
 溢れる事の無くなった涙に、丹羽は静かに問いかける。啓太は丹羽の言葉に小さく頷いた。
「夕べは悪かった。…いや、今朝か。お前に誤解させちまって悲しませた」
「だから、別に哲也さんが謝る事じゃないってば」
 丹羽の謝罪に、啓太は同じ言葉を繰り返す。まるで、自分自身に言い聞かせるように。
 丹羽はゆっくり啓太の隣に腰を下ろして、着慣れているエプロンの上にそっと置かれている啓太の手を握った。
「いや、俺が悪い。でもな、昨日の言葉は俺は覚えていないが、アレは本気だ。ずっと頭の中を占めてたから、自分でもわからないうちに言っちまったみたいだが、冗談でもなんでもないんだ」
 一息も付かずに言い募った丹羽の言葉に、啓太の白い手がぴくりと動く。その動きに丹羽は一瞬淡い期待を抱いたが、啓太の誤解はその程度では到底溶けるものではなかった。
「…いいよ、別に。言っちゃったからって責任取ろうとしなくても。そんな事してもらっても全然嬉しくないよ」
「そんなんじゃねえよ」
「俺は今のままでも幸せだし、哲也さんの人生縛りたい訳じゃない。哲也さんの事は凄い好きだけど…好きだから、思うように動いて欲しい」
 暗に自分は丹羽の足かせになる事を理解していると啓太は言い、再び瞳を閉じた。だがそこにはもう涙は無かった。それが余計に啓太の言葉が本気だと丹羽に告げている。


 付き合い始めてから4年以上、啓太はずっと考えていたのだ。
 今は恋愛感情があるから一緒にいるのだと。
 丹羽に出来るだけ長く己の事を好きでいてもらう為に、慣れない事も努力をした。
 趣味でもない服を着て、興味もなかった料理もした。
 丹羽が「男と付き合ってるから」と後ろ指を指されないようにと、なるべく「アイツが相手なら仕方がない」と思ってもらえるようにと、出来る限りの努力と気遣い、丹羽に対する愛情を惜しみなく表現してきた。
 だが、啓太自身、丹羽が自分とその先を望んでいるとは思っていなかったのだ。
 己のやりたいように行動する丹羽だからこそ、今まで口にしなかった事は実行に移す事はなかった。それは高校生の頃から変わらない事だ。
 数多あった海外への留学の話を断った時も、大学卒業と同時に数多の企業が丹羽の獲得を望んだのを断って、今の道に進んだ時も、それは丹羽が望んだ事だからだと思ったのだ。丹羽にとって海外は魅力のあるものではなく、自己の足下で何かを成し遂げたいと考えているのだと啓太は思っていた。そしてそれは丹羽自身も口にしていた事だった。だが、啓太との将来の事は何一つ、一緒に住みたいとも、将来の展望を口にしなかったのだ。それは丹羽が啓太との将来を望んでいない事の表れだと思い続けていた。それでも啓太はその事に付いて「仕方がない」と思っていた。所詮は男同士。いくら家族や周りが認めてくれていたとしても、社会全体から見れば単なる異端者だ。聡明な丹羽がそれを考えない訳がない。そして丹羽の生涯の相手としては、己は役不足なのだと。せめて、丹羽に生涯の相手が現れるまで、傍にいさせて欲しいとだけ望んでいた。
 だが、夕べは違った。
 酔った勢いとは言え、丹羽が初めて口にした二人の将来像。子供なんかいらない。二人で年をとって、寄り添って生きていければ良いと、丹羽は言ったのだ。そしてその時は当然、啓太は喜んだ。いや、喜びという言葉ではきっと足りないくらい、心が躍った。その喜びを抱いたまま、丹羽の両親と共に丹羽家にお邪魔し、丹羽を寝かせた後、1人、丹羽の両親と話もしたのだ。その後、客間に敷かれた布団に潜り込み1人になった時、ふと思った。あの時の丹羽の言葉は本心だったのかと。その直前、散々周りに囃し立てられ、酒の勢いだけでその気になってしまったのではないかと。何と言っても付き合い初めてから最初の言葉。一心地付いてしまえば、何処か夢の様な気さえした。そこに来て朝、丹羽はその言葉を覚えていなかった。啓太の中では「絶望」という言葉と「ああ、やっぱり」との諦めの言葉が交差したが、落胆が大きかった。故に、涙が止められなかった。
 だが、その涙さえ止まってしまえば、やはり「仕方のない事」として処理出来てしまうのだ。それは啓太が己を軽んじているからではなく、ある意味丹羽よりも前向きでポジティブな思考回路の持ち主だからなのだ。出来る事と出来ない事の境目や、諦め、その事に対する対処は、実のところ啓太の方が丹羽よりも勝っていた。


 啓太は俯いていた顔をゆっくりと上げて、丹羽に笑いかけた。
「ホントにいいから。哲也さんは気にしないで。それよりお腹減らない?俺、あと2時間でココ出なきゃいけないから、早く朝ご飯食べちゃおうよ」
 『この話はココで終わり』だと告げている啓太の言葉に、丹羽は焦った。終わりにされては溜らないのだ。
 おそらくココで言わなければ、一生啓太は本気にはしないだろう。だが、当初予定していた事と狂い過ぎている。場所はいつもの少し散らかった自室。階下には親がいて、しかもロマンチックな雰囲気とは真逆の生活臭溢れるこの現状。
 啓太とて昨日は昼間丹羽とデートをしていただけあって少し気合いの入った可愛い格好をしていたが、今はエプロン姿だ。いやそれ以前に、丹羽にいたってはパジャマ代わりのスエットだ。
(ここで言うのか?いやでも…!)
 この先を考えて、丹羽は今までの計画を捨てる覚悟を決めた。そして啓太に渡す筈のエンゲージが入った己の鞄を視線で探す。
 だが、部屋の中にそれは見当たらなかった。
 初任給から換算した給料三ヶ月分を投じたソレを入れが鞄が見当たらない事に、丹羽は今日一番の焦りを感じた。
(まさか…店に忘れてきたのか!?)
 別に店に忘れて来たからと言って、ソレがなくなるとは想像はしていない。そこは昔なじみの場所であるし、きっと親父が笑いながら預かっていてくれているだろう。だが、この時を逃してはならないのだ。
「啓太!俺が昨日持ってた鞄、どこに置いた!?」
 今まで続いていた会話とは別の話題を大声で叫ばれて、啓太は再び大きな瞳を溢れ落とさんばかりに見開く。
「え…と、リビングに置いてあるよ?」
「そうか!ちょっとココでこのまま待ってろ!」
 丹羽は啓太の肩をつかんで、改めてベッドにおしつけると、風のように自室から出て階段を駆け下りた。再び父親の怒号が響いたが、そんな事にかまっている暇はない。決して広くはない家の中を走り回って、再び自室のドアを開けた丹羽の肩は、軽く上下していた。普段から並以上の運動量をこなしても息一つ乱さなかった丹羽の様子に、啓太は更に驚く。
「て、哲也さん?まだ二日酔い抜けてないんじゃないの?」
「うるせぇ!そんなこたどうでいい!」
 半ば自棄になった丹羽は、大股で啓太の元に歩み寄り、再度その華奢な肩を掴んだ。
「うわっ!」
 心の勢いをそのまま表現してしまったかの様に丹羽の手は力強く、啓太はそのままベッドに押し倒されてしまった。
「ちょと…!こんな朝っぱらからダメだって!」
 頬を染めつつ勘違いをする啓太の唇を、更に勘違いを増長させるように丹羽は荒々しく塞ぐ。コレ以上何か言葉を交わせば、絶対に横道に逸れてしまうとの確信の元の行動だった。唇が離れると、案の定啓太は頬を染めつつも、大きな瞳を半分閉じて、丹羽の体を待ち受けている。
「て、てつやさ……」
「黙って左手出しやがれ!」
 啓太の言葉を遮るように、場違いな荒々しい口調で丹羽は啓太に行動を促す。常の情事の前兆とは全く違う丹羽の口調に、啓太はぱちりと瞬きをした。
「………何?左手?なんで?」
 見慣れている端正な顔の下からのアングルに、いつもとは違う何かを感じて啓太は戸惑う。
「いいから、何も言わずに出せって言ってんだよ!」
 衆人の中にいると丹羽はその頂点に立ち、ある時はこのような命令口調を使うのだが、啓太に対しては殆ど使った事がなかった。滅多に効く事のない丹羽の荒い声に、啓太は首を傾げながらもおずおずと左手を差し出す。丹羽は差し出された左手を、変わらずにガシッと強く掴んで、先程リビングから撮ってきたエンゲージを啓太の左手の薬指に納めた。しかも、かなり強引に。
 痛みに目を細めた啓太が再びしっかりと目を見開くと、そこにはお約束な指輪が光っていた。
「わかったか!昨日のは冗談でも酔った勢いでもねぇ!ホントは昨日、あんな飲み会じゃなくて、色々計画立ててたんだが、ついお前が持って来た酒が美味くて飲み過ぎた!」
 半ば怒った様な丹羽の声を、丹羽のベッドに仰向けに寝転がりながら啓太は呆然と聞いていた。
 夕べ、布団の中で1人否定した事が、今現実の物として目の前にある。それも、物的証拠付きで。
 だがそれでも何処か夢の中の出来事のように感じて、啓太は恐る恐る口を開く。
「………コレ、おかーさんのを借りてきたとかいう落ち有り?」
 宝石の価値などわからない啓太だったが、それでもこう言った物を丹羽からプレゼントされるのは初めての事で、未だ半信半疑なのだ。
「ばっかやろう!なんでお袋のを態々借りてこんな事しなきゃなんねぇんだよ!俺が買ったんだよ!大体、お前のサイズにぴったりだろうが!お袋のだったら余るだろ!」
 確かに啓太は丹羽の母よりも指のサイズは細い。だが………。
「でも、ちょっと緩いよ?」
「…………あ?」
 サイズは合わせた筈だと丹羽は首を傾げて、改めてマジマジと啓太の左手の薬指を見るが、確かに少しゆとりがあるように見える。
「………なんでだ?お前、9号だったよな?」
 以前、啓太がシルバーのデザインリングが欲しいと二人で見に行った際、店員がそう言っていたのを丹羽は覚えていたのだが…。
「ソレ、右手のサイズ。左手より右手の方が普通太いでしょ」
「そうか…考えてみればそうだよな…普通利き手の方が太いよな…」
 丹羽としてはかなり綿密に覚えていたと自信があった場所が失敗して、再び大きな体を丸めて落ちこんだ。 こんな所まで決められないとは、どのくらい自分は朴念仁なのかと。 そんな丹羽の様子に、啓太はブッと吹き出す。いつ見ても可愛いと思ってしまう丹羽の姿に、自然と頬が緩んだ。
「おまえ…笑うなよ」
「だって、すっごい哲也さんらしいよ…」
 笑いまじりの声は少し震えていて、丹羽は顔を上げて啓太を見つめた。
「まあ、俺らしいけどな…で、お前はソレ、受け取るのかよ」
 4年温めていたロマンチックなプロポーズとはかけ離れてしまったけれど。
 カッコ良く左手の薬指にぴったりの指輪をハメて上げようと思っていた事も失敗したけれど。
 それでも、欲する物は変わらない。
 いつにない真剣な表情の丹羽に、啓太は再び瞳に涙を浮かべる。
「けっ、啓太!?」
 苦手なソレを見て丹羽の声がうわずるのも、啓太の笑いを誘った。
「哲也さんが嘘付くとは思ってないけど…ホントに貰ってもいいの?」
 涙を流しながらも笑う啓太を丹羽は抱きしめて、丹羽は長年の別々の生活に終止符を打った。







 丹羽は思い出す。
 そう言えば、二人が付き合う切っ掛けになったのも、己の誕生日だったと。
 最初は勘違いからの告白だったが、それでも啓太は受け入れて、二人は付き合い始めた。
 そして、今回もまた同じように勘違いから始まったが、それでも二人は結ばれた。
 きっと一生、こんな感じなのだ。
 それでも二人は幸せで、何ものにも変え難い存在。


 そして啓太は、己の薬指に輝く指錠を見る。
 何と愛しい自由への放棄かと。
 愛しい絆の現れ、そして優しい結び目。
 今までも苦しみながらも楽しんで来たが、コレからもまたその苦しみと言う名の楽しみを約束してくれている。
 とらわれの身に満足している自分を、啓太は新たな気持ちで笑った。


「それじゃ、朝飯食ったらとっとと啓太の家に挨拶に行くか!」
「はい!」

 一年の中で一番暑い季節は、二人にとってもまた一番熱く絆を確かめる季節になった。

 

 

 

END


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