13日の金曜日


2007.07.13



 

 時刻は深夜にならんとしている頃、理事長室に電話が鳴り響いた。
 その日和希は予め仕事が押す事がわかっていたので、寮には外泊届けが出されていた。
(………啓太?)
 着信を告げていたのは和希の私用の携帯電話で、啓太専用の着信メロディだった為、和希は慌てて電話に出る。
 普段、滅多な事では啓太からの電話は無い。
 不吉な予感とともにスピーカーに耳をあてた。
「啓太?どうした?」
 和希の声に反応した啓太の声は、和希の予感通りに切羽詰まったものだった。
『かっ、和希!早く帰ってきて!』
 平素では有り得ない啓太の裏返った声に、和希はますます慌てる。
「なんだ?何があった!?」
『何がって………』
 啓太が話かけた時、啓太の背後から悲鳴が上がった。
 それにつられる様に啓太からも悲鳴が上がる。
『………うわあぁっ!』
「啓太!?」
 そこで通話は途切れてしまった。
 啓太の悲鳴を聞いて和希はやりかけの仕事もそのままに理事長室を飛び出した。




 寮にたどり着くと真っ先に和希は啓太の部屋を訪れた。
「啓太!啓太!?」
 ドアを乱暴に叩いて返事を促すが、中からはうんともすんとも返事は無い。
 これはいよいよ大事だと、和希はポケットの中から啓太の部屋の合鍵を取り出して鍵を開け、部屋の中に飛び込む。
 だが………。
 そこには啓太の姿は無かった。
 部屋の中も明かりも付いておらず、普段と変わらない少し散らかった部屋の様子がそのまま和希の視界を満たす。
(…何処からかけてきたんだ!)
 この時和希は啓太の携帯電話にGPS機能がついていない事を悔やみ、無事に見つけた暁には新機種に変更させようと心に決めた。

 取りあえず啓太の身柄の確保を最優先として、和希は啓太の部屋を後にする。
 2番目に啓太のいる確率のある和希自身の部屋に足を向けて廊下に飛び出す。
 そこに運悪く、寮長の篠宮が通りがかった。
「…遠藤?お前今日は外泊なんじゃなかったのか?」
 のんびりとした篠宮の声に、和希は慌てて取り縋る。
「篠宮さん!啓太…啓太は何処に行ったんですか!?」
 和希の取り乱し様に、篠宮は怪訝な表情を向ける。
「伊藤?伊藤なら今はおそらく談話室だと思うが…」
「有り難うございます!」
 篠宮の言葉を最後まで聞き届ける事無く、和希は階段に向かって走り出した。
「遠藤!廊下は走るな!」
 篠宮の注意は、既に階下に姿を消した和希には届かなかった。
「………あいつ、足早いな」
 一瞬で消えた姿に篠宮は感慨深く呟いて、目的の場所へと向かった。

 篠宮の言葉に従って、和希は談話室に駆け込んだ。
 談話室には数人の生徒が屯していたが、そこにも啓太の姿は無かった。
「遠藤、何を慌てている?」
 急に背後から声をかけられて、和希は勢いよく振り返る。
 そこには学生会副会長、中嶋が立っていた。
「中嶋さん!啓太は…啓太が何処に行ったか知りませんか!?」
「啓太?啓太なら…西園寺の犬に何か誘われていたぞ」
「七条さん!? 有り難うございました!」
 『西園寺の犬』=『七条』と疑いも無く理解したが、当の七条がその場を見ていたら翌日は確実に一日中サーバー棟に籠らなければならなかった所だが、幸いにも七条はその場に居合わせていなかった。
 そして礼もそこそこに、和希はまた走り出す。
「………なんなんだ」
 取り乱した和希という世にも珍しいものを見て、中嶋は口の端を上げた。

 そして、七条の部屋。
 ドアにぶつかる様に、乱暴にノックを繰り返す。
 だが、部屋の中から返事はない。
「七条さん!七条さん!!」
 七条の部屋の前で騒いでいる和希に、近隣の部屋の生徒達は「何事か」と顔を出す。その中に七条の親友、西園寺の顔もあった。
「遠藤、何を騒いでいる」
 聞き慣れたその声に、和希は再び振り返った。
「西園寺さん!七条さんは何処に行ったんですか!?」
 食って掛からんばかりの和希の勢いに、西園寺は一瞬秀麗な眉を顰める。
「臣なら今頃丹羽の部屋だが…何があった」
 静かに答えられた場所に、和希は眉を顰める。
 そして西園寺の冷静な声にふと我に返れば、啓太の行動が危ないものではない事に気が付く。
 最初の情報は談話室。その次は七条との行動。更に丹羽の部屋。普段と変わらない啓太の行動は、即ち危険が起こる可能性の低いもので。
 だがあの悲鳴は一体なんだったのだろうと、最後の確認の言葉を西園寺に投げかけた。
「王様の部屋?…啓太も一緒なんですか?」
「ああ、一緒だったな。私も啓太に誘われたが、断ったら臣が半泣きの啓太を担いで丹羽の部屋にイソイソと行ってしまった」
 西園寺の口ぶりからすると、啓太はどうもその場に行くのを拒んでいたらしい事が想像される。
「あの…メンツってわかりますか?」
「臣と啓太と丹羽と成瀬以外は私はわからない」
 西園寺の口から出た人物達は皆、啓太に危害を加える様な面々ではない。
 それでは、と、次の可能性的に丹羽の部屋から啓太が1人で何処かへ行ったという仮定に行き着き、とにもかくにも丹羽の部屋を訪れようと西園寺に短く礼を言って和希は足早に3年生のフロアーへと向かった。


 3年生の部屋が並ぶ階の廊下は、夜に相応しく静まり返っていた。高校の学生寮とは言え、その作りは音大生の寮と同じ様な作りをしており、かなりしっかりと防音効果を考えられて設計されているため、殆ど外部に音は漏れない。だからだろうか。消灯前とは言っても窓の外の闇が静けさを助長させていて、一種独特な雰囲気を醸し出していた。
 七条の部屋のドアを叩いた時の半分以下の音量で、和希は丹羽の部屋のドアを叩いた。
『誰だー?開いてるから入って来い!』
 来訪者の顔も確認せずに入室を許可した部屋の主に溜め息を付きつつ、それでも啓太の安否を問おうとドアを開けると………。
「和希ーーーーっ!」
「け、啓太!?」
 探し求めていた人物が、泣きながら胸に飛び込んできた。
「な、何があった!? あの悲鳴は一体なんだ!?」
 わんわんと縋り付いて泣きわめいている恋人に矢継ぎ早に質問するも、酷く怯えた様子の啓太からはその答えを聞き出す事は出来なかった。
「ちょっと!啓太に何をしたんですか!」
 部屋の中にいる、西園寺が上げた面子プラス滝と、何故か岩井に向かって和希は目尻をつり上げて詰問した。
「何にもしてねぇよ!人聞き悪い事言うなっ」
 丹羽の言葉に素早く反応したのは、和希の腕の中で震えていた啓太だった。
「嘘ばっかりー!王様が俺の事押さえつけてたくせにーっ!」
「お、押さえつけてた!?」
 少々物騒な響きを持ったその言葉に和希は眉を吊り上げる。
 が、腕の中の啓太は電話口の悲鳴からは想像もつかない程ピンピンしている。30分前に何が起こったのか。また人前にも関わらず和希の腕の中に飛び込み、あまつさえ涙を流した啓太の様子に、和希の不在の間に何が起こったのか推測する事が困難だった。
「啓太が逃げようとするからだろ!大人しく笑って皆で見てればいいのによ〜」
 丹羽の言葉に室内のTVに目を向けるが、画面は黒く何も映ってはいない。それから視線を移してサイドテーブルの上には、ジュースとお菓子が散乱していてとても和やかな雰囲気だ。
 ソコで再び和希は思う。
 あの悲鳴は一体…?
「啓太…何で俺に『早く帰って来い』って言ったんだ?」
 いくら情報から推測しようにも、あまりにも和やかな場面と悲鳴はかけ離れていて、結果、和希は直接啓太に問う。
 和希の問いに啓太は涙ぐみつつ口を開いた。
「あの…だって、廊下1人で歩くの恐いんだもん」
「………はぁ?」
「それに、夜1人じゃ寝られない…」
「………え…と?」
 今までの啓太からは想像もつかない答えを引き出して、和希は益々混乱する。
 そんなか弱い乙女的な言葉が啓太の口から出るとは想像もつかなかった上、その口調たるや、まるで11年前に戻ったかの様に幼かった。
 啓太はたまに和希に甘えた声を出すが、それは二人きりの時に限定されていたし、人前であからさまなスキンシップを取る事は啓太自身が嫌がっていた事だ。
 今日は一体どんな日だと和希は目を丸くする。
 だが、これらの啓太の和希への対応が和希自身嫌かと言うと、当然そんな事はなく、寧ろ落ち着いて状況判断が出来る様になった今では少し嬉しかったりもしたのだが、それでも常と違う啓太の様子は素直にその状況を喜んでばかりもいられない。
「廊下って…何かあるのか?それに夜1人じゃ寝られないって…」
 少しの身長差も、啓太が俯いてしまえばその表情を見る為には自然と和希は少し膝を折って覗き込む形になる。そんな幼い子供に対する様な対応にも、今日の啓太からは文句が飛び出す事はなかった。あまつさえ、再び瞳に涙を浮かべる。
 コレはいよいよ大事だと周囲に説明を求める視線を投げ掛けると、部屋の中の人々が不自然に和希から視線を逸らせる中、何時もは静かな岩井がぼそぼそと口を開いた。
「俺は…嫌がっているのなら、見せる事はないと言ったんだが…ホラー映画は皆で見ると楽しいと…意見が一致して…」
「………ホラー映画?」
 チラリともう一度室内を見渡せば、散乱しているお菓子の袋に紛れて、いくつかのDVDのパッケージが覗いている。
「昔の作品の演出とかを説明していたんだが…啓太の気は紛れなかったんだ…すまない」
 面子の中で一番反省している素振りの岩井を横目に、和希は啓太を抱きかかえたままそれらを手にとりタイトルを確認すると。
「えーと?『666』『ローズマリー』に『13日の金曜…ぶっ」
「タイトルなんて復唱しなくていいから!」
 和希の口から出た言葉でも聞きたくないとばかりに、啓太は和希の口を手で塞ぐ。だが顔を上げてしまった事によってパッケージを視界に入れてしまう嵌めに陥り、慌てて再び和希の胸に顔を伏せた。
 つまり。
 啓太は丹羽の部屋でおこなわれた『ホラー映画鑑賞会』に強制的に参加させられ、その結果、夜1人で行動する事に恐怖を覚えた、と言う事なのだ。そして一連の言葉を総合すれば、電話口の啓太の背後から響いた悲鳴は映画の中のものであり、ついうっかりそれを目撃してしまった啓太がつられて悲鳴を上げた、という事になる。
 とにもかくにも啓太の身の上に危機的なモノは無かったと言う事に和希は胸を撫で下ろしたが、それでも啓太のこの怯え様はただ事ではない。もう一度視線を鑑賞会に参加していた面々に戻すが、映画を啓太に見せる為に丹羽がふざけて啓太を押さえつけて、助けを求める啓太の携帯電話の電源を切った以外は無いと、七条がにこやかに説明をつけて騒動を収束させた。
「……啓太、こんなの作り物じゃないか」
 少しでも体の強張りを解いてやろうと、和希は啓太の耳元で優しく諭す。だが啓太はキっと瞳に涙を溜めたまま、和希を睨んだ。
「人間!誰だって一つや二つや三つや四つ、どうしてもダメなものがあるだろ!」
 いや、確かにどうしても克服出来ない苦手なものと言うのはあるのだろうが、三つ四つは多い気がする。だが啓太が仕事中だとわかっている和希に助けを求めるなど初めての事だったので、和希は残してきた仕事に溜め息を付きつつ、尚青い顔をしている啓太を苦笑とともに抱きしめた。

 人前で略ラブシーンを繰り広げながら、和希は根本を面子に問う。
「で、なんでいきなりホラー映画鑑賞会なんですか?」
 夏恒例の怪談話には、期末テストを終えたとは言え本格的な長期休暇には突入していないこの時期には少し早い気がしたのだ。
 その問いに、再び七条は何時もの笑顔で即答する。
「今日は『13日の金曜日』じゃないですか。少し前までは金曜ロー●ショーでいつもホラー映画を流してくれていたんですが、最近はネタ切れみたいでやってくれないので、自分達で企画してみました」
 ふとカレンダーに目を遣れば、確かに今日は13日で金曜日だ。だが昨日は欠片もそんな話題は出ていなかったと言うのに、何故いきなりこの企画を思いついたのかは謎のままだ。
 和希の困惑している様子を見て、丹羽が七条の説明に付随する。
「啓太が言ったんだよ。学生会室で日付を打ってた時に『今日はジェ●ソンが暴れる日なんですねー』ってさ。それで古いホラー映画の話になって、で、たまたまソコに七条が居合わせてて、古いホラー映画のストックが沢山あるから皆で見ようって話に流れたんだよ」
 和希の知る『啓太』という人物は、心霊・オカルト・ホラーなどの心理的恐怖を煽るものをことごとく嫌っていた筈だった。啓太としては別にホラー映画の話を振るつもりではなく、ただ単に家族内で流通していた言葉をつるっと口の端に上らせただけだったのだが、言い出した人物が参加しないとは何事だと丹羽に強制参加を申し渡され、更にこう言った事にのみノリのいい七条に拉致されてこの企画に参加させられる事になったのだ。


 和希は乾いた笑いを丹羽の部屋に残して、啓太を部屋に連れ帰った。
 そして小さな物音にもびくりと体を震わせる啓太を抱きしめてベッドに潜り込む。
「ご、ごめんね…仕事の邪魔して」
「まあ…仕方ないよ。それに啓太が他のヤツと一緒に寝るのは俺が耐えられない」
 啓太にとっても今日は日頃の幸運からは想像がつかない不吉な日だったのだろうが、和希は今までの人生の中でこんなにオカルト地味た日は経験が無いと溜め息を付きつつ目を閉じる。その瞼の裏には翌日の多忙さに悲鳴を上げている自分が映っていた。ホラー映画よりも現実的に恐ろしい場面だ。
 和希にとって不吉な日は『13日の金曜日』ではなく、寧ろその後片付けをしなければならない『14日の土曜日』なのであった。

 

 

 

END




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