最近、和希の周りが五月蝿い。
 いや、よく考えれば、それは最近始まった事ではないのかもしれない。
 タダ単に、俺が最近気がついただけで、きっと前からこうだったんだろう。
 でも、腹が立つ。
 だって、和希と俺は恋人で。
 和希の周りを他の男がうろついていい筈がない。
 誰が許しても、俺が許さない!


日常的非日常


2006.6.25UP



 

 その朝、和希はいなかった。
 だから、何となくその話の輪に入った。
「どうしたんだ?」
「なんか安達の奴、彼女が他の男にコクられてるのを噂で聞いたらしくてさ。もう大騒ぎ」
 話題の中心になっている安達をちらっと見ると、複雑そうな顔をしてムッツリしている。
 コイツがこんな顔をするなんて珍しい。
 いつも爽やかな好少年だというのに。
「へ〜。安達の彼女ってすごい美人だったよね。安達も大変だな」
 短く切りそろえられた頭を、ポンポンッと慰める様に叩くと、「わかってくれるか〜」と、情けない声で俺にすがりついてくる。
 なんか俺、よく抱きつかれるんだよね。
 前の学校じゃこんな事あんまり無かったけど…やっぱり男子校だから?(大いなる勘違い)
「でも、浮気された訳じゃないんだろ?」
「それはそうだけどよ〜……やっぱり気持ちのいいモンじゃないぞ」
 安達は気弱な声を出しながら、俺の腹の所でウンウンうなってる。
 まあ、可愛そうだとは思うけど、ココは全寮制男子校な訳だし、そうそう周りに牽制出来ない立場なんだから仕方がない様な…。
 そんな悠長な俺の考えは、次の藤田の言葉で吹っ飛んだ。
「ばっかだな〜。美人で頭も良くて優しい淑やかな女なんて、お前以外にもアタックするに決まってるだろ」
(あれ?その条件って……)
「でもよ〜………」
 ……でもまさか………
 その後も、担任が教室に入ってくるまで延々と続いたが、俺の頭にはさっぱり入ってこなかった。

 美人で。
 頭がよくて。
 優しくて。
 淑やか。

 いや、淑やかは置いておいても、まあオトナの魅力と置き換える事が出来なくもない。
 ………こんな条件にマッチするなんて、この学園では一人しかいない。
 愛しい愛しい俺の恋人様だ。
 あくまで俺の見た範囲でだけど。
 でも、これは女の人の条件だし。
 男にこれを求めているのは寂しいヤツだけだろうし。
 あ、俺はいいんだよ。こんな条件で好きになった訳じゃないし………言い訳くさいけど。
 それに、どちらかと言うと俺が女役だしな………情けないけど。
 和希は元来の男としての役割なんだから、関係ないよな。
 だが、はたと気がついてしまった。
 よく考えてみたら、自分達の間の夜の役割なんて、他の人は知らないだろうって。
 今まで、この学校で何人かの生徒にコクられて来た俺だけど、その都度『こいつら、俺の性別知ってるのか?』とか、自分の中でも当然のように、俺が抱かれる役割で考えて鳥肌立ててたけど………それは、今までの経験上で行き着いた考えな訳で………もしかしたら、皆俺に抱かれたかったのかもしれない。
 そうなると……当然和希だって………。
 俺の中では『抱く方』として認識されてるけど、もしかしたら和希の事を抱きたいって考えてる人だっているかもしれない訳で。
 俺と和希の仲を知ってる人達だって、もしかしたら和希が女役だと思っているかもしれない。
 そして、そこまで考えて、俺はまたまた気がついてしまった。
 俺と和希が付き合い始めてから、今まで親切にしてくれてた人達が、急に和希に声をかける様になった気が………。
 それまでは、俺と和希が一緒にいても、あんまり和希に声をかけている雰囲気はなかった。
 けど、よくよく考えれば、皆和希の紹介で知り合えた様な物だし。
 当然、俺よりも前から、皆は和希と付き合いがあった訳で………。
 もしかしたら、俺なんて和希の友達って事で親切にされてただけかもしれない。
 という事は………。
 俺は、自分で行き着いてしまった答えに青くなった。




 放課後、昼休み前に教室に駆け込んできた和希に課題を教えてもらっていた。
 本当は寮の部屋に帰ってからでも良いと思うんだけど、和希から「勉強は学校でするもんだ」とか訳の分かんない事を言われてて、俺はテスト前とかじゃない限り、自分の部屋ではあまり勉強する事はない。
 まあ、そんな理由で、俺の毎日の日課は、放課後の教室での勉強会だ。
 そして、毎日の日課と化しているもう一つの事が今日も起こるのである。
「ハニーーーーvv」
 初対面からハイテンションなこの人は、先輩で、テニス界の王子さま、成瀬さん。
 何故か俺の事を、「ハニー」と呼んで可愛がってくれている。
 ハッキリ言って可愛がられ方は尋常じゃない。
 包容、頬擦り、毎日の手作りのラブリー弁当(桜田麩でハート付き)、果てはキスまでされてしまう凄さだ。
 だけど、別に強引に交際を迫ってきたりとかは無いんだ。
 最初はちょっと、いや、かなり戸惑ったけど、俺が嫌だって言えばちゃんとやめてくれるし、可愛い女の子の話とかにも喜んで乗ってくれるしで、行動はちょっと変だけど、先輩後輩の付き合いとしては結構快適。テニス部内で回っているエロ本とかも、部員でない俺に回してくれたりで、至って普通(?)の男同士の付き合い。
 包容とか頬擦りとかも、形容するなら、恋人がどうのって言うより、ペットに対する愛情みたいな物に思える。
 俺は長男だから、過保護なお兄さんがいるみたいでちょっと面白い。
 だけど、和希はそれが気に入らないらしい。
 今日も今日とて、走りよってきた成瀬さんの顔面に一発『ゲシっ』といい音をさせて蹴りを入れた。
「………やあ、ダーリン」
「!?」
 いま、この人和希の事「ダーリン」って言った!?
 今までは「お友達くん」って呼んでたのに、何でいきなり「ダーリン」なんて………。
「今日も元気そうですね、成瀬サン」
「御陰さまでね………で、僕はハニーと話をしに来たんだけど」
「あいにく啓太は今、課題中です」
「…じゃあ、ちょうどいい機会だからちょっとダーリンとお話したいね」
(ちょうどいいって………)
「俺はお話したく無いですよ。啓太の課題も終わってないですしね」
「………してくれば良いじゃん。成瀬サンは『和希と』お話したがってるんだろ?『先輩』に対して失礼だよ」
 何か、混乱してる、俺。
 思ってもいない事が口からぺらぺら出てくる。
「啓太?」
 あ、和希が不思議そうな声出してる。
「あ………」
「じゃあハニー、悪いけどダーリンを少し借りるよv」
 成瀬さんは嬉しそうに、和希の腕をとってドアへと向かった。
 本当に、凄く嬉しそうな顔で。
(………成瀬サン、ホントは和希の事が………)
 そう言えば、和希は最初から成瀬さんがバイセクシャルな人だから気をつけろって言ってた。
 もしかしたら、和希自身、俺と再会する前に成瀬さんに言い寄られてたのかもしれない。
 だから知っていたのかも………。
 だって、普通にしてたら、そんな事冗談にしか思えない。
 経験があったから、知ってたとか………。
 もう、それからは勉強どころじゃなくて、俺は急いで荷物をまとめて和希の後を追った。


 俺が昇降口で外履きに履き替えている時、和希は必死の形相で駆け込んできた。
 どこから走ってきたのか、顔を上気させて、うっすら汗をかいている。
「和希、大丈夫?」
 変な事されなかった?とか聞きたかったけど、勿論そんな事聞ける訳も無い。
 和希は俺に縋りながら、ゼーゼーと呼吸を整えている。
「へ、平気」
 苦しそうに答えるけど、服を通してじんわりと伝わってくる和希の熱が、情事の最中に似ていて、疑惑の念を抱いてしまう。
 ちょっと荒い息も、なんだかセクシーだ。
 今日一日、ぐるぐると考えていた所為で、思わず和希の顔を凝視してしまう。
「………何?なんかついてるか?」
 和希はきょとんとして、俺の視線を受けている。
 その顔は、どっから見ても高校生。
 とても責任のある仕事をこなしているオトナの男には見えない。
 というより………なんだかとても可愛い気がする。
 元々『整った顔だな〜』って思ってたけど………うん。こうして見ると可愛いぞ。
 脱いだら結構筋肉とかしっかりついているいい体な和希だけど、服の上からわかる程のマッチョな訳じゃないし。
 身長だって、スポーツ系の人が沢山いるこの学園の中では、そう高い方じゃない。
 しかも、特技は編み物とかってすごい乙女っぷり。
 やっぱり、俺なんかに声をかけた人がいるんだから、和希の事抱きたいって思う人だっているだろうな。
 いや、抱かれたいのかもしれないし。うん。
 どっちにしても俺には不愉快極まりないんだけど。
 成瀬さんも、和希の可愛さにヤラレテた口なのかな。
「けーた?どうした〜?」
 じーっと和希を見て考えてたら、和希が困った顔をして覗き込んできた。
「いや、さ。和希って可愛いな〜って思って」
「はぁ!?」
 我ながら突然だとは思ったけど、考える前に口からぽろっと溢れてしまった。
 和希は目を点にして驚いている。
「何だよ、急に」
「いや、思った事をそのまま言っただけ」
「思った事って………啓太…?」
「いいじゃん。それより帰ろ?」
 訳がわからないと言った風の和希の手を取り、俺は寮に向かって歩き出した。


 夕暮れの中、二人で手をつないで歩く。
 部活のある生徒はまだ最後のミーティングの最中で、部活のない生徒はもうとっくに帰寮している時間なので、俺たちの周りには誰もいない。
 二人っきりの広いスペースに、ただ足音が響くだけ。
 俺は、一日の中でこの瞬間が一番好きだ。
 本当に和希が俺だけの物って感じがする。
 俺の手のひらに伝わる、和希の俺より少し大きな手の温もりは、昔から同じ様でいて、やっぱり少し違う気がする。
 それは、やっぱり俺たちの関係が変化したから、そんな気がするのかな。
 ………と、そんな乙女な考えに自分で照れ始めた頃。
 再びつい最近恒例となった光景が目の前に繰り広げられる。
「遠藤!!!」
 そこには、学生会室からどうやって逃走してきたのか、ネクタイをいつもより更に緩めて、Yシャツのボタンを三つ外した王様が、俺と和希のラブラブ空間を怒濤の様に蹴破って乱入してきた。
 そんな王様の様子に、和希はさっと俺を背後にかばってくれて、王様と対峙の体勢をとる。
「か、和希?」
「いいから」
 何がいいんだろう?
 いつもと同じなら、この後の展開は………。
「一発殴らせろーーーっっ!!!」
 ほら来た!!
 王様の振り上げられた拳に、俺はとっさに目を瞑ってしまった。
 いつもなら和希は俺の手を強く握って走り出すのに、今日に限ってどうして殴られる気になったんだろう?
 と、思ってたら。
「嫌ですよ!」
 和希の拒否の声が周囲に響く。
 いや、「嫌だ」といってやめるくらいなら、王様だってこう毎日しつこく追いかけてはこないだろう。
 俺は、部屋に帰った後の和希の手当を思って、脳内で自分の部屋の救急箱の場所を検索し始めた。
 が、殴られる時の鈍い音はいつまでたっても響かない。
 そっと片目を開けて見ると、王様の拳は和希の少し脇を空振りしていた。
 その直後、和希の膝が王様の鳩尾にヒットする。
 ………うそぉ。
 逃げ足が速いのは知ってたけど(逃げ足限定)、王様に敵う技を持ってるなんて聞いてないよ。
 呆然と眺めていた俺に、和希は乱れた前髪を掻き揚げながら、ため息一つの時間で歩み寄る。
「か、和希………」
 道ばたに踞っている王様と和希を交互に見比べて、説明を求めた俺に、和希はいつもの笑顔で「正当防衛」と告げてきた。
 いや、正当防衛とかそう言う事じゃなくて………。
「俺、一応資産家のお坊ちゃんだから、護身術くらいは体得してるよ」
 そ、そうか。そうだよな。
 すっかり忘れ去ってたけど、和希ってオボッチャマだった。
 でも、そんな事まで勉強しなきゃいけないなんて、大変なんだな〜。
 俺は改めて、庶民の家庭に生まれた事を感謝する。
 にしても…体育の授業の柔道で見た以外で、和希が蹴りとか入れるシーンって…なんか似合わない。
 というか、実際に見てしまった後でも、ピンとこないっていうか………。
 この人畜無害そうな顔から、あのスポーツ選手も真っ青な体格と運動神経の持ち主の王様を地面に沈めるって、想像できるか?
 軽く人間不信に陥りそうだ。
「…にしても、王様、最近毎日だね」
 ついさっき目の前で繰り広げられた衝撃の場面を忘れようと、何気なく話題をそらせた。
「まったく…諦めが悪くて困るよな」
 ………。
 その一言で、俺は今日一日ぐるぐると考えていた事がよみがえってきた。
 そうか。
 もしかしたら王様も和希の事………。
 大体、普通に悔しかったくらいなら、こんなにしつこく追い回す事なんて無いよな。
 実際、和希の正体が分かって、会計室で胸倉掴み上げた事件以来、暫くは大人しかったんだから。
 こう、好きな子と接触が持ちたくて、ちょっかい出しまくる男の子みたいな感じか。
 ていうか、そのまんまじゃん。
 方法としては可愛いけど、だからと言って王様が和希に好意を持つ事は、俺にはいい気分じゃない。
 ちょっと前まで咳き込んでいる王様に対して『可愛そう』とか思ったけど、今ではすっかりそんな同情めいた気分も消え去ってしまった。
 いくらいつも俺に優しい王様でも許せないっ。
 和希は俺だけのなんだから!
「和希っ行こ!」
「え?啓太?」
 急に元気よく和希の腕を引っ張った俺に、和希は驚いた顔をして俺に引きずられた。


 夜、和希は夕食をとった後、急遽秘書さんに呼ばれて、私服のままサーバー棟へと走って行ってしまった。
 今夜は一緒にゲームをする約束だったのに。
 でも、仕事だから仕方が無い。
 というより、俺たちのこの学園の為だから、お願いしますってのが本音。
 寂しくないとは言わないけど、送り出すのはちょっと誇らしかったり。
 まあ、そんな訳でポッコリあいてしまった時間を、俺は参考書とお友達になる事に決めた。
 今日和希に教えてもらった所の復習だ。
 もう時期期末テストだから、念入りにやりたい。
 そんなこんなで集中していたら、あっという間に時間は深夜にさしかかった。
 点呼が終わって、もう一時間か。
 この分じゃ、和希はきっと徹夜だな。
 明日の朝、制服をサーバー棟に届けてやろう。
 その時には、食堂のおばちゃんにおにぎりでも握ってもらって、一緒に届けてやろう。
 そんな事を考えていると、なんだかのどの渇きを覚えて、財布を手に暗くなった寮の廊下に出た。
「あれ?」
 俺の隣の部屋の前に、誰かいる。
 俺の隣の部屋イコール和希の部屋って事なんだけど。
 暗闇に目を凝らすと、その人は寮長の篠宮さんだった。
「篠宮サン今晩は。こんな所でナニしてるんですか?」
「ああ、伊藤か。伊藤こそどうした。消灯時間は過ぎているぞ?」
「俺は勉強してたんですけど、のどが乾いたからジュース買いに行こうかと思って」
「そうか。俺はまた遠藤が門限を破っているので注意する為に待っているんだ」
 ………他の人でそこまでしてるのって見た事無いけど。
 回数の問題なのかな?
 でも、今日待ってても、多分帰ってこないと思うけど………とは言える訳が無い。
 篠宮さんの長い夜を思いながら、「そうですか」と短く答えた。
「じゃあ伊藤、程々に頑張れよ。解らない事があれば、教えてやるぞ」
「有り難うございます…じゃ」
 薄暗い廊下で仁王立ちしている篠宮さんに背を向けて、一階下にある自販機コーナーを目指した。
 それにしても………。
 普通は次の日に呼び出しくらうのが精々なのに。
 それに、最近は和希も少し時間があって、無断外泊は久しぶりの筈。
 それなのに、ドアの前で待たれるなんて………。
 そこで、俺はまたまた今日学校でぐるぐる考えていた事にぶち当たった。
(まさか………)
 成瀬さん、王様だけでなく篠宮さんも?
 だって、いくら何でも和希だけかまい過ぎじゃないか?
 他にだって常習的に無断外泊している人はいるのに、ドアの前で待ってるなんて事聞いた事も無い。
 それに最近、学校内でもやたら注意している気がする。
 その度に、和希は頬をぱりぱり掻いて「しつこいな〜」なんて言っている。
 それってやっぱり、和希と接点を持ちたいからだろうか。
 1年と3年なんて、そうでもしないと中々会えない訳だし。
 和希が忙しかった時は、部屋に呼び出す理由があったから、学校内では殆ど声をかけてなかった…と思う。
 ということは、篠宮さんが俺に優しくしてくれてたのって、やっぱり和希の隣にいたから?
 でも、俺に優しくしてくれていて、最近和希にやたら声をかける様になったのは、篠宮さんだけじゃない。
 この間は西園寺さんも和希だけを呼び出していた。
 いつもは俺が一緒でも何とも思ってない風だったのに、一緒に行ったら怪訝そうな顔をされた。
 それに、七条さんもなんだかパソコンで和希に色々仕掛けてるみたいで、この間、和希がぶつぶつ言ってた。
 それを言ったら、俊介だって、なんだかんだと前より和希にまとわりついている気がする。
 どんどんパズルのピースが埋まって行くみたいに、俺の頭の中で不愉快な結論が導かれて行く。
 皆、和希が俺の事ばっかり構う様になったから、焦ってきてるんだ。
 だけど、もう遅いんだから。
 和希はもう、俺だけの物なんだから。
 でも、どうやったらそれを表現出来るんだろう。
 どう言ったって、皆が和希の事を諦めてくれるなんて思えない。
 だって、俺だったら絶対諦められないから。
 とりとめのない事を、深夜の自販機コーナーで一人、悶々と考え続けた。


 結局、和希はやっぱり徹夜だった。
 篠宮さんが何時に諦めたかはわからないけど、朝の廊下に篠宮さんの姿は無かった。
 いつもより少し早く起きた俺は、和希の制服をまとめ、食堂のおばちゃんにテイクアウトの朝食を頼む。
 そして、人目を気にしながら足早にサーバー棟へと向かった。
 サーバー棟の玄関前で、和希の携帯に電話をかけると、和希はすぐに鍵を開けてくれた。
「啓太、わざわざ悪いな」
「いいって。それより、徹夜なんて疲れてないか?」
「啓太が来てくれたから、疲れなんてどこかに飛んでっちゃった」
 ちゅっと俺の唇にお早うの挨拶をして、和希は制服に袖を通す。
 付き合いはじめの頃は、この挨拶が恥ずかしかったけど、最近ではこれが無いと一日が始まらない気がする。
 ホントに俺、和希に依存してるな。
 この先、和希のいない人生なんて考えられない。
 だけど、そう考えてるのはきっと俺だけじゃなくて………。
 昨日の夜からの不安を、和希にどうにかして欲しくて、着替え途中の和希に抱きついてみた。
「啓太?どうした?」
「…昨日、寂しかったから」
 今まで言った事も無いセリフに、自分でもちょっと頬を染めてしまった。
 本当は『寂しかった』んじゃなくて、『不安だった』って言うのが正しいけど、そんな事を言ったら和希は過剰に心配するだろうから、ちょっと事実を曲げて伝えてしまう。
「俺も、寂しかったよ」
 和希はこの上なく甘い声で、俺の指先にキスをしてくれる。
 こういう、何気ない所にされる軽いキスって、本当に愛されてるなって実感出来て、凄く好き。
 俺はお返しに、和希の頬に軽くキスをした。
「朝からそんな可愛い事ばっかりしてくれると、必要以上に元気になっちゃうよ、俺」
 苦笑しながら、俺の事をぎゅっと強く抱きしめてくれる。
 和希の匂いに包まれて、俺も必要以上に元気になってもいいかな〜なんて思ってしまった。
 だけど、やっぱりダメか。
 今日は、課題提出のある授業が一時間目にあるもんな。
 その証拠に、和希は俺の唇にもう一度軽くキスをして、着替えの続きに入ってしまった。
 こういうとこ、コイツってやっぱり大人。
 リミッター弱そうに見えて、その実、頭の中できっちり予定が組まれてる。
 まあ、多分に自分勝手な予定ではあるのだけど。
 仕事だって忙しいのに、いまだに俺と学生やってる理由を「日本の高校の単位を取ってないから」とか、訳の分かんない難癖つけて実行しているあたり、一緒に仕事をしている人達にはいい迷惑だと思う。
 だけど、一緒にいられるのは本当に嬉しいし、自分が凄く愛されてるって実感出来るから感謝はしてるけど、本当にこれでいいのかと、時々考えてしまう。
 それに、やっぱり考えてしまうのは昨日の事だ。
 元々、外での俺の知らない女性関係にはピリピリしてたけど、一緒に学校に通っていると、ピリピリする範囲が広がってしまうって事実。それだけ和希の世界だって広がってしまう訳だから、当然の事と言えば当然の事なんだけど、やっぱり恋人の立場にある俺的には凄く不愉快だ。
 前々から『和希って成瀬さん顔負けのタラシだな』って思ってたけど、男にもこれだけ通用しているなんて想定外だ。
 いや、俺だってタラされた男の一人なんだけど。


 この魅力を、俺だけに向けてくれればいいのに。
 そうすれば、余計な事に悩まなくて済むのに。


 悶々と考え続けて二日。
 今日はいつもより、和希に向けられる視線が気になって、授業に身が入らなかった。
 というより、勉強自体が手につかなくて。
 考えても仕方が無い事なのに、考えずにはいられない。
 そんな俺の気持ちなんて関係なく、日々は忙しい訳で。
 今日は、以前から言われていた学生会の手伝いだ。
 放課後、進路指導に呼ばれていたので、和希に先に行ってもらった。
 王様の件もあるから、俺は出来るだけ和希には学生会に近付いて欲しくないんだけど、頑として譲らないから仕方が無い。
 それに本当は、和希は手伝っちゃいけないと思うんだけど、和希はどうも学生会室に俺を一人で行かせたくないらしい。
 何を考えているのやら、さっぱりだ。
 担任の進路指導に、俺は現在の望みを伝えて、小一時間、色々と指導してもらった。
 取りあえず進学希望な事を伝えたが、本当の望みは和希の側で働く事。
 だけど、一度冗談めかして和希に言ったら、あんまりいい顔をされなかった。
 『それは嬉しいけど』と、語尾を濁して『これからちゃんと探しな』と、頭を撫でられた。
 やっぱり俺じゃ、使い物にならないのかなぁ。
 これでも結構、頑張ってるつもりなんだけど。
 来年には、何教科かはハードクラスに行けるって、先生も言ってくれてたし。
 やっぱり、王様や西園寺さんクラスじゃないと、和希の側には行けないのかな。
 それとも………あんまり考えたくはないけど、俺をずっと側に置くつもりは無いのかな………。
 嫌な考えを打ち消す様に、俺は階段を駆け上がって、学生会室の前にたどり着いた。
 すると、中から声が聞こえる。
 そりゃ、和希が先に来ている訳だし、声が聞こえても不思議じゃないんだけど………。
 なにか……空気が微妙な気が……。
 耳を澄ますと、とんでもない会話が飛び込んできた。
「お前は処女の啓太では満足出来ないだろ?」
 中嶋さん、なんか和希に迫ってるみたいだ………。
 中嶋さんも和希の事、好きだったんだ。
「いえ、十分満足してますよ」
「やせ我慢するな。俺が満足出来る様にしてやるよ」
「ご心配頂かなくても大丈夫です。それよりも中嶋さん、俺にやらせてるんだから動かないで下さいよ」
 ………何だろう。
 ごくりと喉が鳴る。
 王様の時とも成瀬さんの時とも違う和希の対応に、否応無く不安がかき立てられる。
 俺について、必ず学生会室に来ていた和希。
 もしかして本当は、俺の事が心配なんじゃなくて、中嶋さんと………。
「なんだ、お前の相手をして欲しいのか?」
「場合によっては相手をして欲しいですけどね。それより啓太の………」
 『相手』って……和希っ!
 俺はもう、その会話を聞いてられなくて、ノックもせずにドアを思いっきりぶち開けた。
「!?啓太?」
 部屋の中では会話の危うさ通り、和希が中嶋さんの服を掴んで、胸にキスをしていた。
「…ほお、立ち聞きとは悪い子だな」
 俺はもう怒りとショックで、目の前が真っ暗になった。
 あんなに俺だけって言ってたのにっ。
 それも、女じゃなくて、この学園の生徒の中嶋さんなんてっ!
「…和希の浮気者ーーっ!」
「え!?!?」
 涙で目がかすんで、和希の手元に何か光る物があった事も気がつかない。
「もうっ、中嶋サンとでも成瀬サンとでも王様とでも付き合えばいいよっ!もう和希なんてダイッキライっ!!」
「啓太っ!?」
 和希が叫んでいたけど、これ以上泣き顔を見られたくなくて、俺は猛ダッシュで走り出した。

 なんだよっ。
 あんなにいっぱいキスしてるのに、頭の中では俺以外の事を考えてたんだ。
 あんなにいっぱいエッチしてたのに、ずっと誰かと比べてたんだ!
 それを全然俺は気がつかないで、和希が俺だけを愛してるって勘違いしてたんだ。
 俺なんて、和希の事を好きな大勢の中の一人でしかなくて。
 将来、側にも置けない様な小さな存在で。
 王様や西園寺さんみたいに和希の仕事を助けられる様な頭もなくて。
 顔だって、中嶋さんや成瀬さんみたいにカッコいい訳でもなく可愛い訳でもなく10人並みで。
 体型も、華奢な訳でもがっちりしている訳でもなくて。
 ましてや家柄なんて、極々一般庶民で。
 本当に、和希の隣にいられるのが不思議な位な普通のヤツで。
 和希の事を好きって気持ち以外、何も持ってなくて………。

「啓太っ待て!」
 いつの間にか追いついた和希に、思いっきり手首を掴まれた。
「やっ!」
 掴まれた手首は思ったよりも固定されていて、振りほどこうともがく程に食い込んで行く様に思えた。
「離せっ!」
「啓太、落ち着いて!急にどうしたんだよ!?」
「もうやだっ!みんな…皆が俺から和希を取ろうとしてっ!和希も本当は比べてたんだろっ!」
「…啓太?なに言ってるんだ?」
 俺の渾身の大暴れを、和希はいとも容易く封じ込め、整った眉を寄せて、涙でぐしゃぐしゃな俺の顔を覗き込んでくる。
 今までだったら『愛されてる』って感じてたこういう和希の行動も、今ではそんな事を思える筈もなく、只イライラを増長させるだけだった。
「和希っオレの事好きって…言っておいてっ…ホントはっ、つまらないって…中嶋さんが、言ってた通りだとっ思って!だからっ和希…中嶋さんと……っ!」
「…中嶋さん?」
 あくまでも分らないといった和希の様子に、俺は怒りを爆発させた。
「だってさっき、中嶋さんの胸にキスしてたじゃないか!」
「胸にきすぅ!?!?」
 こっちは現場を見てるのに、そんな大声で誤摩化そうとしたってダメなんだから!
 泣きながら睨んだって、迫力の『は』の字もないってわかっているけど、それでも精一杯和希を睨みつけた。
「…啓太、気色悪い誤解はやめてくれ………」
「何が誤解だよっ!」
 和希は暫く考え込む様に視線を彷徨わせると、「あ」と小さく呟いて、頬をぽりぽりと掻きながら微妙な顔をする。
「……まあ、角度によってはそう見えたかもしれないけど……アレは只ボタンつけてあげてただけだよ」
「え?」
「多分、啓太が見たのって、糸切ってるときじゃないかな……と。でも、あんな可愛げない人、俺はごめんだ。今回のだって、半ば脅迫されてやったんだぞ?」
 言い終わると、和希は自分の体をさすり出した。
「ああもう、啓太が変な事言うからっ!見ろよこの鳥肌っ!!」
 叫びながら、俺の目の前にうっすら鳥肌のたった腕を差し出す。
 流石に芝居じゃ鳥肌まで出せないだろうから、和希が本気で嫌がっているらしいってわかってちょっと安心した。
 それでも、大元の不安が消える訳じゃない。
 今は嫌がってたって、あんなに魅力的な人達だもん。
 いつ、どうなるかなんて分らないよ。
「……ここ2、3日、様子がおかしかったのはこれの所為?」
 不安が顔に出ていたんだろうか。
 和希は優しく俺を抱きしめてくれて、髪を手で梳いてくれる。
 ささくれ立った心が落ち着き始めて、さっきとは違う意味の涙がこぼれてくる。
「啓太?」
 和希の優しい声に促されて、俺は不安を辿々しく口にした。
「和希、かっこいい…からっ。和希好きなの、オレだけじゃないっから…」
「そんな事ないよ。オレの事を好きなのは啓太だけだよ?」
 あくまでも優しく、髪の生え際にいくつもの小さなキスを落としてくれる。
 だけど、そのあまりに無頓着な言葉に、反抗心がむくむくと沸き上がった。
「そんな事っある訳無いじゃん!あれだけ皆にアプローチされててっ!なんで気がつかないんだよっ!」
「あ…ははははは(そう見えてたのか)」
「? なんか言った?」
「いや、別に」
 暫く乾いた笑いをしていた和希は、はたと、いつもはあまり見せない深い笑顔で俺の耳元に囁いてきた。
「じゃあ、さ」
「…何?」
「啓太が俺の事守ってくれる?」
「え…?」
 『守る』って、俺が?
 だって、和希の方がずっと喧嘩も強そうだし、あの人達に敵う話術なんて、俺にはない。
 だけど…。
「俺が好きなのは啓太だけだから。これ以上俺たちの間に誰かが入らない様に、啓太が守ってくれるか?」
「和希……」
 これ以上ない位の和希の笑みに、胸がきゅんとなる。
 本当に俺、和希の事が好きだ。
 和希との関係が、今の俺には全てで。
 その為なら…俺…。
「分った。俺が和希の事守る。誰にも絶対に邪魔させない」
 俺は決意を込めて、和希を見上げる。
 そんな俺に、和希は蕩けそうな笑顔を向けてくれた。
「愛してるよ、啓太」
「うん…オレも和希の事…愛してる。オレ、和希の事守るから。誰にも取られない様に守るからっ。だから、捨てないで」
「捨てるなんてある分けないだろ。でも…」
「…和希?」
 意味ありげに一旦言葉を切った和希の顔を覗き込む。
 そこには、まるで悪戯っ子みたいに笑う和希がいた。
「嫉妬してる啓太、すごく可愛い」
「もうっ…人の気も知らないでっ」
「ゴメン」
 二人、いつの間にか来ていた校舎裏でくすくすと笑い合う。
 ここ2、3日の胸のつかえは、嘘の様に晴れ渡っていた。
 二人の気持ちさえしっかりしていれば、大丈夫なんだ。
 どんな障害が現れても大丈夫。
 それは、今回みたいに二人で乗り越える術を考えればいいんだから。
「啓太……」
「和希……」
 和希が少しだけ屈んで、唇を寄せてくる。
 そんな和希の仕草に、俺は当たり前の様に瞳を伏せて、少しだけ首を延ばしてそれに合わせた。
「んっ…」
 軽く、ちゅっと音がして、一旦離れたかと思うと、次の瞬間には深く口腔を嬲られる。
 口の中を縦横無尽に這い回る和希の舌を捕らえようと、俺も舌を動かした。
「ふ…んぅっ」
 くちゅくちゅと卑猥な音を立てて、舌を絡ませ合う。
 五感の全てで和希を捕らえようと、俺は体を和希に密着させて、和希の頭を掻き抱く。
 次第に足から力が抜けてきて、腰に回されている和希の腕にもたれる様になる頃、ぴちゃっと音をさせて唇を解かれた。
 俺と和希の間に、日の光を浴びて銀色に光る橋が架かる。
 それを見留めると、体の芯がカッと熱を帯びた。
「けいた」
「ん?」
 熱を孕んだ眼差しで、和希は小さく俺の名前を呼ぶ。
「寮の部屋がいい?それともこのままココでいい?」
 主語のないその言葉は、まるで暗号のようだと思った。
 それでも、それが差す意味は、俺にはとても嬉しい物で。
「……和希の、部屋がいい」
「了解」
 秘密の会話の終了と共に、俺の体は和希の腕の中に抱き上げられた。





 濃厚な夜を過ごした次の日の朝は、雲一つない快晴だった。
 晴れやかな心で、和希と校舎への道を辿る。
 すると、お馴染みの愛称が俺の背後から響き渡った。
「ハニーーーーーっ!」
 その声に、俺と和希は顔を見合わせて苦笑し、俺は和希を隠す様に一歩前に出た。
「お早うございます、成瀬さん」
「今日は一段と可愛いね」
 誰に向かって『可愛い』って言っているのか、今の俺には分ってしまうから、ちょっと眉を寄せてしまう。
 だけど、ココでハッキリ言っておかないと。
 和希は俺が守るんだから。
「有り難うございます。夕べ、和希と沢山愛し合いましたから」
「え………?」
 いつもは際限なく続く成瀬さんの言葉は、今日は一瞬にして終わった。
 俺は勝利を確信して、心の中でガッツポーズをとる。
 心無しか固まっている様に見える成瀬さんの前で、わざと和希の腕に自分の腕を絡ませた。
「それじゃ、俺たち行きますね。成瀬さんも遅刻しますよ?」
 成瀬さんは優しくてかっこ良くて大好きな先輩だけど、ごめんね。
 和希だけは、絶対に渡せないから。
 にっこりと成瀬さんに向かって微笑んで、俺は和希の腕をとって再び校舎に向かって歩き出した。



 その日の夕方。
 再び恒例となった叫び声が和希に向かって飛んでくる。
「エンドーーーーっ!」
 相変わらず王様は、俺と和希の甘い空気なんて物ともせずに、全速力で近付いてくる。
 和希は俺の手を強く握って、走り出す準備を整えたが、それは俺が制した。
「啓太?」
「いいから」
 この間とは逆の会話をして、俺は和希を背後に庇った。
「王様!今日からは俺が相手です!」
「………あ?」
 王様の目が、今まで見た事のない様な間抜けな形をとる。
「さぁっ、どっからでもどうぞっ!」
「い…いや、俺は遠藤に……」
「もう、和希の事は諦めて下さい!和希は俺のなんですっ!」
 俺のちょっと腰の引けたファイティングポーズに、王様はぽかんと口を開けて固まった。
 王様も大好きな先輩だけど。
 転入してから色々助けてもらって恩も沢山あるけど。
 それでも、和希だけは譲れないから。
 絶対誰にも譲れないから。
「そーいうことです、王様」
 和希が俺の背後から、にっこり笑って王様に目配せした。
「和希っ!俺以外には微笑みかけちゃダメっ!」
「啓太?」
「王様は和希の事好きなんだから、これ以上虜にしてどうするつもりだよっ!」
「啓太は心配性だなぁ」
 のんきな和希を一生懸命隠して、俺は王様をキッと見据える。
「あ……いや、その……」
 王様はだらだらと汗を流しながら俺たちを見つめていた。
 失恋のショックかな?
 ごめんね、王様。
 和希はとっくに俺の物なんだからね。
「じゃあ、俺たちもう帰りますね。王様も早く学生会室に戻らないと、中嶋さんにお仕置きされますよ?」
 固まったままの王様を残して、俺は朝と同じ様に和希に腕を絡ませて寮への道を歩き出した。
 今日一日で二人も撃退出来た事を満足に感じながら。
 だから、歩き出す時に一瞬王様を振り返った和希の顔に載せられていた笑顔の種類なんて、知る由もなかった。




 当たり前の様な日常の中に、不意に起こった非日常的恋愛事件。
 それでも、これからはこれが俺たちの日常になる。
 和希、絶対守るからね!

 

 

 

END




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