通学

2007.1.16up



 

 整備された街路樹に低い位置から差し込んで出来る細かい木漏れ日を受けながら、和希と啓太は並んで校舎までの道のりを楽しんでいた。
「前の学校まではさ、俺電車通学だったんだよね」
 ふと啓太は思い出したように話し出した。
「電車かぁ。俺はあんまり乗った事無いんだけど、朝のラッシュとかよく聞くよな」
「うん。そりゃもう大変でさ。腕とか鞄とか、上の方で持ってないと、痴漢に間違われたりするし、上に持ってたら持ってたで、腕折れるかと思うくらい押されるしさ。だから今、こんなにゆったり通学できるなんて夢みたいだよ」
 木々の隙間から見える青空を見上げながら、啓太は嬉しそうに和希に語る。
 そんな啓太の様子を、和希も嬉しそうに眺めていた。
「しかも俺、朝起きられないじゃん?だからいっつも電車の時間に間に合わせる為に、家から駅までダッシュかけてたから、朝の空気がどうかなんて考える余裕も無かったしさ」
 道には二人以外にも学生がいて、時々「おはよう」の挨拶を交わしながら、ゆっくりと坂道を登っていく。
「じゃあ、こんな坂は憎かったりしたんだ」
「そうそう。『ここがもう少しなだらかだったら、もっと早く走れるのに』ってね」
 天気も上々気分も上々で、啓太の口からは話が途切れることなく流れ出る。
 だが、そんな話を聞きながら、和希はふと疑問に思った事を口にした。
「でもさ。毎朝同じ電車に乗る可愛い女の子とかいなかったのか?そんな話も聞くけど」
 探るような独特の口調に、啓太は吹き出す。
「ストレートに『一緒に通うような子いたのか?』って聞けよ。別に隠してる事なんか、俺には無いんだから」
 『やぶへび』とはこの事。
「でもいいよ。和希が隠してる事は、今更聞かないから。で、俺の方はそんな余裕はありませんでした」
 少しばつが悪くなり、和希は頬をかきながらちらりと視線を送るに止まる。
「さっきも言ったろ?時間の余裕なんてもてなかったって。今だって和希に起こしてもらわないと、いつも遅刻コースまっしぐらじゃん。周りの人間眺めてる時間なんて無かったし、声かける時間なんて、それこそ皆無でした」
「…それは胸を張って言えることじゃないと思うんだけど…」
「だって、和希が変な心配するからだろ。それに俺、もてる方じゃないしね」
「それはどうだか…」
 胸をよぎる幾つもの例に、和希の疑心は強くなっていく。
「なんだよ…信用出来ないのか?」
「いや…だってさ。俺が女だったらほっとかないから」
 疑心半分からかい半分の和希の言葉は、目論見通り、啓太の頬を赤く染める事に成功する。
「馬鹿。朝っぱらから変な事言うなよ」
「ホントだよ。俺だったら間違いなく惚れてる。現に俺は男だってのに放っといてないだろ?」
「…和希ってバカ」
 啓太の一言と態度で、あっさりと和希の疑心は晴れていく。

 二人の関係は、未だに『友達』以上、『恋人』未満。
 そんな不安定な関係でも、心だけは誰よりも通わせているのだけは確かな事で。
 故に、些細な事で疑心に陥り、また些細な事で疑心は信頼に姿を変える。

「バカは酷いなぁ。素直に啓太の魅力を語ってるだけなのに」
 頬を染めて恥ずかしそうに俯く啓太の隣で、和希は上機嫌で空を仰ぐ。
 こんな関係が心地よく感じるのは、大人になってしまったからなのかと考え、和希はもう過ぎ去ってしまった本当の学生だった頃を思い出す。
「和希こそ無かったのかよ、そう言う事」
 伺う様な啓太の言葉に、上機嫌のまま視線を向ける。
「ん?俺?俺はここに通うまでは毎日車での送り迎えだったからな。そんな出会いは望めませんでした」
「げーっ。オボッチャマだ」
「はい。オボッチャマです」

 和希の学生時代は少々特殊だった訳で。
 それも身を守る為に必要だった事で。
 子供だった和希は、自分一人すら自分で守れない脆弱な存在だった。
 だが、その脆弱さを和希は理解していた子供だった。
 それでも、自身の身の上を理解はしていても、一般に聞き及ぶ登下校にあこがれが無い訳ではなく。
 普通の学生。
 普通の通学。
 誰も自分に気を留める者がいない毎日。
 友達と並んで歩き、他愛の無い会話で始まる日々。
 恋に恋する気持ち。
 放課後の寄り道。
 年相応の遊びと、未来に対するあこがれを胸に秘めて学友と戯れる。
 そんな、当たり前の学生時代。

 でも、それは望むべき事ではなかった。
 己に課せられた未来への課題。
 自由の放棄。
 その代わりに与えられる、莫大な財力と権力。

 本当は、どちらを選んでも和希の自由だった。
 その為に、和希の両親と祖父は、片田舎に和希の居場所を決めた。
 でも、その道を選んだのは和希自身で。
 今、隣を歩く少年の未来を守りたくて。
 だから、後悔はなかった。
 それでも願ってしまった少年の日々。
 それが大人になって叶えられるとは思っていなかったけれど。

「…ぜーんぶ、啓太の御陰なんだよなぁ」
「和希がオボッチャマなのが、なんで俺の御陰なんだよ」
 途中で途切れた会話を、迷う事無く啓太は続ける。
「いや、俺がオボッチャマな事じゃなくてさ」
「?じゃあ、何?」

 不思議そうに自分を見上げるその瞳は、あの頃と少しも変わらずにそこにあった。
 その光は、変わらずに自分の道を照らしてくれる。
 これから進むべき道を。

「啓太はさ。俺の事好き?」
「は?」
「だから、俺の事好き?」
 会話の前後を無視した和希の質問に、啓太は眉を顰める。
「脈絡ないなぁ…まあ、普通に好きだよ」
「普通ってなんだよ」
「異常じゃないって事」
「そうじゃなくて」
「じゃあ、なんて言って欲しいんだよ」
 照れ隠しの為か、啓太はぶっきらぼうに問う。

 実際には、啓太の和希への感情は、啓太の言う『普通』のモノではなかった。
 友情を越えた「好き」という感情。
 幼い頃の些細な約束を守ってくれた、隣を歩く今は同級生の顔をした年上の幼馴染み。
 この先、再び別れる事があるかもしれないと思うと、胸が締め付けられる程の苦しみを感じる。
 けれど、それが「恋」かと問われれば、啓太自身よく分らないというのが本音で。
 故に、和希への「好き」という言葉は、どう紡いでいいのか分らなかった。
 それは、和希にも承知の事実で。
 だからこそ、こんな言葉も吐けるのだと和希は思う。

「んー、そうだなぁ。『和希スキスキ愛してるー』って言って」
「…ホント、和希ってば馬鹿だねぇ」
「ひどいなぁ。タマにはサービスしてくれてもいいだろ?」
「はいはい。『和希スキスキ愛してるー』」
「…心がこもってない」
「こめてないもん」

 本気ではない要求に、本気ではない様に答える。
 その滑稽さに、二人は声を立てて笑った。

「…お前ら、朝っぱらからなに寒い事やってんだ」
「あ、王様。お早うございます」
 後ろから歩いて来た上級生に、啓太はいつもの挨拶をする。
「お早うございます」
 それに倣って和希もいつもの挨拶をする。
「おう。お、啓太、昨日のサッカー見たか?」
「ああ、見ましたよー。結局負けちゃいましたね」
「でもよー………」

 他愛のない話を楽しそうにする二人を、和希は眩しそうに眺める。
 自分には疑似体験でしかない、この学生生活だけど。
 過去の自分には手の届かない物だったけれど。
 それでも、当時の目標は達成されていると実感出来るこの瞬間。
 それは、紛れもない幸福であり。
 望んだ未来を手にした自分が、誇らしく思えた。

 願わくば。
 隣を歩くこの愛すべき少年にも、同じ様な幸福な未来があります様にと、毎日の通学のなかで祈るのだった。

 

 

 

END


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