天体観測

2007.10.01up



 

 実家の啓太の部屋には、色々な物がある。それは和希の実家の部屋の様に整った物ではなかったが、その雑然とした様子が和希は好きだった。そして部屋を訪れる度に「アレは何?」「これはどうして」などと質問をし、まるで二人の幼い頃の関係が逆転した様な雰囲気を醸し出していた。そしてその日も和希は啓太に聞いた。
「啓太、これ、どうしたんだ?」
 指差した先にあったのは、何の変哲もない屈折型天体望遠鏡。白く細長いフォルムも極一般的な物であったが、啓太にそんな趣味があったと知らなかった和希は、興味津々でこの質問をした。
「ん?子供の頃懸賞で当たったんだ」
 けろっとされた返事に、和希は更に言葉を続ける。
「いや、ソウイウコトじゃなくて、啓太、天体に興味があったのかって聞きたかったんだよ」
 星空を眺めても純粋に「綺麗だ」という言葉しか啓太の口から漏れる事はなかったので、和希は現在の啓太と過去の啓太との繋がりが知りたかったのだ。
 和希の質問に啓太は少し首を傾げた後、静かに首を横に振る。
「天体っていったら天体かもしれないけど、別にご大層な事がしたかったんじゃなくて、ただ月のクレーターが見てみたかったんだよ」
「クレーター?」
 そんなモノはちょっといい双眼鏡なら見れると和希が口を開きかけた所で、遮る様に啓太は言葉を続ける。
「大きく見れば地球だってでこぼこしてるんだろうけどさ。水のないでこぼこした地面って言うのが想像つかったのと、着陸船とか見つからないかなって思って、細かく見える筈の天体望遠鏡が欲しかったんだ」
 人類が月に降り立ったのは遥か昔で、今は資源的利用価値が低いと言う理由で月はあまり興味を注がれていない。故にいくら子供の頃とは言え着陸船などはなかったのだろうが、取りあえず啓太が天体望遠鏡を欲しがった理由は判明した。だが、啓太の言葉はココでは止まらなかった。
「でもさ、あんなに目の前にある月なのに、望遠鏡で探すとなるとなかなか見つからなかったんだよな」
 少し埃の被った太くなった先端をつつきながら、啓太は笑う。
「経度とか赤緯なんて分らなかったし、目の前に有るんだからすぐに見える筈だと思ってたのに、月を捕まえるまでに2時間とかかかっちゃって、風邪引いたんだ」
 どんなに近く、大きく見えても、月までの距離は38万Kmあるのだ。子供が簡単に望遠鏡で見える物ではなかったのだろう。
「でも、捕まえた時は凄く嬉しかったし、世界がひっくり返るかと思う程驚いた」
 遠い日を見つめながら、啓太は窓から差し込む月の光を淡く受け止める。
「驚いた?なんで?」
 月は目の前にある。太陽の光を反射させながら夜を照らしている、あって当たり前の物を見て、何を驚いたのか。
「クレーター見てたらさ、望遠鏡動かしてないのに月がずれていくんだよ。ソレを見て、なんでだろうって父さんに聞いたんだ。そうしたら「そりゃ、地球がまわってるからな」って言葉が返ってきて、ホントに驚いた」
 当たり前の事。自転が有るから日は昇るし沈む。そして月も。だが、何となく和希はそれを感じ取った。
「ああ、そうかもな。自転に関する言葉は全部地球主体の言葉だもんな」
 『昇る』『沈む』と言う言葉は、そこに住んでいる人から見た言葉であって、正確には『光のあたる方向に向く』『光の届かない所まで回る』と言うのが天体にとっての正確な言葉なのだ。
「あの時、本当に地球が回ってるって目の当たりにして、地球の大きさと自分の小ささを凄く実感したんだ。…だから、ホントに見たかったクレーターの印象は、実は今は大して残ってなかったりして」
 最後は少し照れながら、啓太は笑って主旨の変わってしまった天体望遠鏡の思い出を話した。
 その話を聞きながら、和希はまるで啓太の話は今までの自分達の関係のようだと思った。
 幼い頃であって、和希には啓太と言う太陽が昇り、留学の別れで沈み、また再び学園での再開で昇った。季節の変化すら感じる幼い頃の春の日だまりの様な感情から、今の灼熱の真夏の様な恋愛感情。様々な形では有るが、確かに二人には日は昇り、そして沈むのだ。そして更にふと思った。
 この先、また沈む事があるのではないかと。
 和希が不吉な思考に顔を歪めた時、啓太は逆の事を口にした。
「自然が自分の時間を決めてるんだって思ったら、何だかその時俺、凄く気が楽になった。だって、どんな事もその時耐えてれば自然がその苦しみの時間を決めてくれてるって事だろ?だから、なんでも耐えられるって思った。それに、苦しみは地球が回ってまた太陽の光が当たる様になる様に、すぐに喜びの時間が訪れる物なんだろうなって、楽天的な事を考えたりもしたんだよな」
 いつか、人生の時間が終わるまで、その自転は止まらない。故に苦しみはいつか終わりを迎え、喜びの時間へと変わるのは自然の変化であると、小学生の啓太は思ったのだ。
 楽天的だと本人は笑ったが、その真理とも取れる言葉に和希もまた笑った。
「ホント、楽天的だな」
 それでもそれが真理なのだと和希も思う。
 啓太の実家の部屋の窓から見える月を眺めて、二人はこの先、自然の自転が連れてきてくれる筈の幸せを思った。

 

 

 

END


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