大切なもの

2007.4.25up



 

 それは、本当に偶然の事。

 その日、和希の学外の家を訪れていた啓太は、急に入ってしまった仕事に追われている和希の邪魔をしない様にと、本棚から一冊の本を取り出した。
 そこに挟まっていた古い写真。
「…あ」
 思わず出してしまった声は、決して上機嫌なものではなかった。
 写っていたのは、今よりも少し幼い笑顔の和希と…。
「なに?啓太」
 啓太の声に反応してパソコンの画面から顔を上げた和希は、写真を凝視している啓太に声をかける。


 啓太とて、和希が年上な事は重々承知している。
 そして、恋愛関係を結んだのが啓太だけではないという事も。
「…美人だね」
 写真の中の、和希の腕に抱かれている明るい髪の女性をそう賞賛した。
「…え?」
 和希は立ち上がって啓太の手の中にある写真を視界に納めると、少しバツが悪いのか右頬を軽く掻いた。
「そんなモノ、何処にあった?」
「この本の中」
 啓太が手に取ったのは、上製の表紙の推理小説だった。
 和希の本棚の中では珍しい種類に興味を惹かれて手に取ったまでで、それ以上の思いは当然啓太には無く。
 故に、啓太にとっても予想外のその写真は、心に波紋を投げ掛けた。


 和希の様子を見て、啓太は困った様に笑う。
 別に責めている訳ではないのだ。
 過去は過去であり、現在とは別のものだと理解している。
 心の闇はどうしようもなくとも、その事について和希を責めるつもりは到底ないのだ。
「そんな顔するなよ。別に怒ってないよ」
「わかってるよ、そんな事」
 微妙な会話を遣り取りして、お互いに不自然に視線を逸らせる。
「…これ、いつの写真?」
「…大学生の時…かな」
 写真の中の二人は、とても幸せそうな顔をしている。
「確か、新入生歓迎セレモニーの時に撮った写真だった…と思う」
「ふーん。そんなのあるんだ」
「向こうはね。日本の大学は知らないけど」
 啓太の知らない和希の時間。
 啓太は写真を眺めながら、その時和希は何を思っていたのか考えた。


 何を希望していたのか。
 どんな物を嗜好していたのか。
 そして…この女性とどんな恋をしていたのか。


「けーた」
 写真を眺めたまま動かない啓太に、和希は甘く声をかける。
 だが、啓太からの返事はなかった。
 和希は一つ大きく溜め息をついて、啓太の手の中から写真を取り上げる。
 そして、そのままその写真を徐に二つに引き裂いた。
「…あ!」
 紙の裂ける音よりも少し重い裂音が部屋に響いて、啓太は思わず声を上げる。
「ちょっと…!別に破かなくても!」
「いいんだよ。もうこんなのいらないから」
「でもっ、大切な思い出だろ!?」
 分厚い本の間に挟まっていたそれは、誰が想像しても大切なものに違いない。
 きっと当時の和希にとっては、宝物だったに違いないのだ。
「思いでも大切だと思う事もあるけど、今の俺には啓太の笑顔が一番大切だから。だから、啓太がそんな顔するなら邪魔なだけなんだ」
 そう言った和希は、心からの笑顔で。
 破られた写真に写っていた表情と、同じ物だった。
「…やっぱダメ!」
 更に細かく破られそうになった写真を啓太は取り上げて、大事に胸の中に抱き込む。
「啓太、なんで?ホントにいらないんだよ?」
「だって…この写真の和希、笑ってるから」
 啓太に向けたものと同じ笑顔の昔の和希。
 それは、その思い出が本当に大切な物だと啓太に知らしめた。


 他の人との思い出は、啓太にとっては面白くない物である事に違いはない。
 それでも和希の思い出は、啓太にとっても大切な物で。
 和希が、大切だから。


「セロテープ、何処だよ」
「……いや、だから捨てようよ」
「ダメ!和希が捨てるって言うなら、コレは俺が没収しておく!」
「没収って…なんでそんなにこだわるんだよ」
 明らかに不機嫌な表情を浮かべる和希に、啓太は小さく笑った。

 大切にされていると解っているから。
 今は、何よりも愛されている自信があるから。
 だから、同じだけ愛したい。

 啓太よりも少し長く生きている和希には、その分啓太よりも多くの思い出があって当然の事。
 その時間すら、啓太は愛しく感じていた。
 だから…。
「そりゃ、こだわるよ。和希の過去だもん」
「俺には啓太との過去だけでいいよ。それ以外には大切な過去なんてない」
「嘘ばっかり」
 拗ねて尖らせた和希の唇に、啓太は小さなキスを施す。
 ついばむ様なそれが離れて、和希の視界は啓太の満面の笑みに満たされた。
「大体、こんな美人の写真を捨てるなんて勿体ない」
「勿体ないって…啓太の方が美人じゃないか」
「ばか。んな訳あるか」
「んな訳あるある。絶対啓太の方が美人」
「そんな事言うなら、余計にこの写真は捨てられない」
 丁寧に自分の鞄に写真の破片を全て納めて、啓太はにっこりと微笑んだ。
 その笑顔に、和希は嫌な予感を覚える。
「…なんでだよ」
「和希がそこまで言い張るなら、ちゃんとこの写真復元させて皆にジャッチしてもらうから。それで、この人の方が皆が美人だって言ったら…」
「…言ったら?」
 本棚に手にしていた推理小説を戻しながら、啓太は悪戯っぽく笑う。
「この写真の和希の年齢、教えろ」
「それはダメ」
 即答した和希に、啓太は口の端を上げる。
「即答するって事は、和希はやっぱりこの人の方が美人だって認めてるって事だな?」
「そんな事ない。啓太の方が美人」
「なら問題無いだろ」
「美意識は十人十色です。だから、そんなリスクの大きい賭けは出来ません」
「別に今の年教えろって言ってる訳じゃないだろ」
「それでもダメです」
「ちっ」
 舌を鳴らして背中を向けた啓太を、和希は優しく腕の中に納めた。
「啓太…」
 啓太の耳元で今までにないくらい優しい声で、和希は言う。
「…ありがとう」
 その声に啓太は嬉しそうに目を細めた。

 

 

 

END


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