「やだーっ!切らないっ!」
「だけど啓太…それじゃ目に入っちゃうよ」
寮の中庭で、仲の良い筈の幼馴染みが口論を繰り広げていた。
二人の口論など滅多に聞ける物ではない。
通りかかった啓太の恋人が、何事かと話に入る。
「何やってんだ、お前ら」
和希の片手には大きな白いシーツの様な物と、ハサミ。
典型的な家庭の床屋さんスタイルだった。
それを見て逃げ惑う啓太。
丹羽はその光景に頸を傾げる。
少し前にも同じ様な光景があったのだが、その時には啓太に逃げる様な素振りはなかった。
最近啓太の髪の毛も伸びてきていて、きっとそろそろ過保護な幼馴染みがまた啓太の髪の毛にハサミを入れるのだろうと思っていたのだが、今回はどうやらちょっとした騒動になっている模様。
銀色のハサミから逃げ惑う啓太に、和希は困ったように眉を寄せていた。
「啓太は俺が切るのが嫌なのか?」
「違うの!俺は暫く髪の毛切らないって決めたの!」
手先の器用な和希は、見よう見まねで啓太の髪の毛をカットしていた。
それはつい最近始まった事ではない。
啓太がこの学園に転校してきて以来、定期的にそれは行われている。
理由は、散髪をするのに学園の外に行くのが面倒くさいと啓太が漏らした事に由来する。
頭を抑えて断固拒否の姿勢を崩さない啓太に困った和希は、啓太に対して絶対的な言動力を持つ啓太の恋人である丹羽に視線で助けを求めた。
その視線を受けて、普段はあまり啓太の事に関して優越感を感じる事の出来ない和希に対して少し誇らしくなり、胸を張って丹羽は啓太に告げる。
「切ってもらえよ。お前、普段のひよこみたいな頭の方が似合うぜ?それ以上伸びたら癖の所為で鳥の巣みたいになっちまう」
「………」
「………」
和希は額を抑えて天を仰ぎ、啓太は頭を抑えたまま瞼を半分落とした。
鳥の巣もイヤだが、ひよこもイヤだ。
常日頃西園寺が言っていた「デリカシーにかける言動」は、ここにいたっても健在だった。
おそらく丹羽的には何か比喩的な言葉があった方が啓太の心に響くと思ったのだろうが、その活用方法が間違えていた。
年頃の男の子が喜ぶ言葉など、丹羽のボキャブラリーには無い。
人選を誤ったと和希は後悔するも、後の祭り。
チラリと啓太の様子を伺えば………
「絶対切らない!」
………やっぱり。
とにもかくにも啓太を落ち着かせる事が最優先と、和希は構えていた床屋さんセットをベンチにおいて、すぐには髪の毛を切る意思は無いと啓太に示す。
その姿勢を見て啓太もしっかりと押さえ込んでいた頭を解放した。
少しは落ち着いたらしい啓太の様子を見て、和希は静かに啓太に理由を問う。
和希の穏やかな雰囲気を受けて、啓太も素直にその理由を口にした。
理由は極在り来たりな物だった。
「王様が…髪の毛長い方が好みだって言ったから」
好きな人の好みに合わせたいと言う思想は、恋をしていれば別におかしい物ではない。
人によるのだろうが、啓太の日頃の『丹羽LOVE』っぷりを見ていれば納得出来る。
和希はちらりと丹羽を一瞥したが、当の丹羽は啓太の言葉に驚いた表情を見せた。
「俺がぁ?いつそんな事言ったよ!」
「この間『●人投稿写真』一緒に見てた時、そう言ったじゃないですか!」
「………ぶっ」
和希は思いっきり吹き出した。
別におかしくて吹き出した訳ではない。
学内でも有名なラブラブバカップルは、日頃何をしているのかと驚いた所為だ。
恋人どうしでエロ本を仲良く眺めると言うシチュエーションは、あまり聞かない話だ。
「そんな事言ってねえよ!アレだって俺は啓太と一緒でショートのセーラー服の娘が好みだって言ったじゃねぇか!」
「違うもん!王様は『巨乳で髪の毛長いとえっちの時楽しい』って俺にハッキリ言ったもん!『えっちの時に胸の谷間に髪の毛張り付くのってすげぇそそるー!』って地団駄踏んでたのちゃんと覚えてる!」
「………ぶはっげほっ」
和希は吹き出すだけでは足りずに、小さく咽せる。
二人の関係を考えなければ、男子生徒としては別におかしい話ではないのかもしれない。
だが、昼日中から好みの体つきや最中の事に付いて大声で激論を交わすのは、恋人でなくともどうかと思う。
その上一連の啓太の言動を考えれば、啓太は『えっちの時に胸の谷間に張り付く髪の毛』と言う物を目指しているという事になるのだ。
つまり啓太は「この人とそう言う事したいです!」と大声で叫んだ事になる訳で………
「け、けいた…そう言う話はもうちょっと声のトーン落として…」
1人冷静な和希は、ヒートアップしている二人に小声で嗜める。
だが高揚している二人がそんな小声に気が付く事は無かった。
「だから言ってんだろ!俺はでかさよりも触り心地だって!デカイのが好みだって言ったのは啓太の方だろ!」
「俺はでかさよりも張りだって言った!」
話は流れ流れて、どうやら二人の間では好みの胸のサイズの記憶に付いての論議になってしまったらしい。
(髪の毛…切りたいな…啓太に似合う髪型の研究、一生懸命してるのに)
この場に女性が居たら確実にセクハラになる話題を真剣に論じている二人の会話をBGMに、和希は遠く空を眺めながら右手で散髪用のハサミをちゃりちゃりと弄ぶ。
和希が啓太の髪の毛を切り始めた頃、啓太は「みっともなく無ければいい」と至極アバウトな注文を付けていたのが、丹羽と付き合うようになってからは「可愛く見えるようにして」と、恋に身も心も捧げた注文を付けるようになっていた。
和希から見れば啓太はそのままで十分可愛いと思っていたのだが、それでも啓太の顔かたち、背格好、雰囲気に合わせて、それこそピンクが似合う様な髪型にすると意気込んで研究を重ねている。その成果を試す一月に一度のこの日を楽しみにしているのだ。
(今日を完全に休みにする為に、二日徹夜したのにな…それが…)
この男のバカな言動の所為で…と、可愛い啓太のハートを盗んだ大男をじろりと睨む。
だがそんな和希の視線に気が付く事なく、バカップルの会話は更に広がりを見せる。
「王様の好みの巨乳にはどうやったってなれないけど、それでもせめて髪の毛くらい伸ばそうかなって思った俺の健気な心意気なのに…それなのに鳥の巣だのひよこだのっ…どうせ俺は王様の好みにはなれないよ!王様は俺なんか直ぐに捨てようと思ってるんだー!」
何をどう曲解してそうなったのか、啓太は丹羽の好みとかけ離れている自分に対して、そう解釈して泣き出した。
丹羽と和希は泣き出した啓太に慌てたが、いつもは啓太が泣くと問答無用で丹羽を詰る和希も、今回ばかりは文句を言う事はなく…寧ろ哀れんだ視線を丹羽に送った。
哀れまれてもどう行動していいのか解らないデリカシーという存在を心に持たない丹羽は、今度は和希に視線で助けを求める。
普段は優秀な丹羽の頭脳は、事、こういった恋愛事のいざこざになると豆腐以下の価値しかなくなってしまう。
和希はどうしてこんなヤツに啓太は惚れたんだと、大切に思ってきた子供の頃からのアレコレを思い返しつつ、こっそりと丹羽に耳打ちをする。
それは当然丹羽の為ではない。
どんな事であれ、啓太が悲しんでいるのは耐えられないからだ。
所詮和希は、啓太がよければ他はどうでもいいのだ。
丹羽は一度耳打ちされた台詞を一言一句間違える事なく、口にした。
「俺はショートの啓太が一番可愛いと思うぞ!えっちの時にお前の可愛い顔が髪の毛に隠れるなんて勿体ないからな!」
本来なら大声で言う台詞ではないのだが、既に学園中が知っているバカップル。
このくらいの台詞を誰に聞かれたとて問題にはならない。
啓太もこの丹羽の言葉を恥ずかしいと認識する前に、丹羽の口から出た『可愛い』の言葉に過敏に反応を示し、ぴたりと涙を止めた。
「…ホントにそう思ってる?」
上目遣いで少し疑う素振りをしつつ、それでも丹羽の言葉に縋りたい啓太は丹羽に確認をする。
「お、おう!勿論だ!」
丹羽自身としては最初に言った言葉とあまり意味的には変わらなかったのだが、それでも和希の用意した台詞の効果に驚きつつ、慌てて啓太の問いに肯定を示す。
途端に啓太の顔には明るい笑顔が戻り、啓太を挟んだ二人は安堵の溜息を漏らすのだった。
「…和希、切って」
「はいはい」
先程逃げ惑った床屋さんセットを自ら手に取り、啓太は和希にいつも通りに『可愛くして』と注文をつけて散髪を依頼した。
暫くして髪の毛を切り終えた啓太は、早速今回の出来映えを最愛の丹羽に問う。
満面の笑みで丹羽に聞いた啓太は、その3秒後…再び涙を流した。
「うわーんっ!もう絶対に髪の毛切らないー!」
「け、啓太ーっ?」
啓太に再び涙を流させた丹羽の返答とは。
『おう!●ューピーみたいで可愛いぞ!』
どうしてこう、余計な間違えた比喩が付くのだろうか。
それを横で聞きつつ、啓太専門の休日床屋さんは深いため息をついた………。
END
|