ある晴れた日曜日。
久しぶりの和希の休日を2人で楽しむ為に、和希と啓太は学園から目と鼻の先にある海浜公園へと外出した。
日頃も学園の寮で2人で居るのだから、何もわざわざ場所を変えなくとも2人の時間だけは確保出来ているというのに、いつもと違う場所はやはり心が華やぐと言うもの。
「かずきー!はやく!」
和希を先導するように10歩先を歩いていた啓太が、海浜公園の芝生から和希を呼ぶ。
「はいはい」
啓太の作った簡単なお弁当を持って、和希は自分の少し前を軽い足取りで歩く啓太に適当な返事をする。
(いや…流石に若い)
まるで年の差を見せつけるように軽い啓太の足取りに、和希は苦笑した。
学生と社会人の二足のわらじを履く和希は毎日残業続きで、たまの休日は体を休めたいと願う事がしばしばだ。
だが平日は起こしに行くまで寝ている恋人が、休日ともなると自分よりも格段に早起きになる様を見ていると、自分の考えだけを優先させるのは気が引ける。
きっと楽しみにしている筈だと。
自分と違い、生活の殆どが『学生』という単一の行動に縛られている年下の恋人が、違う空気を求めている事くらいは理解出来る。
学校と寮の往復に、何時に帰ってくるかわからない恋人を待つ毎日。
まだ年若い啓太が、眠るだけで気持ちの切り替えが出来る訳がないし、恋人との恋人らしい空気を求めるのは年は関係ない。
体を休めたいと欲する和希自身ですら、啓太との恋人らしい時間は求めていたのだ。
行く先は問題ではない。
今回のように、学園からほど近い海浜公園に簡単なお弁当を持って、芝生の上で食べるだけでもいいのだ。
おそらくお弁当を食べ終わって直ぐに『帰ろう』と言っても、啓太は頷く。
ただ、それだけの事でいいのだ。
(もっと我がまま言ってもいいんだけどね)
あまり毎日行動を束縛されるのは辟易するが、今回の外出も和希が言い出した事。
過重労働をする和希を、啓太は常に思いやる。
今回の外出も2ヶ月ぶりの事なのだ。
毎回休日の度に早起きをするくせに、啓太は何処かに出かけたいと和希に漏らす事はなかった。
そして和希が起きると嬉しそうに「もっと寝てればいいのに」と言う。
その嬉しそうな顔を見る度に、和希は自分への啓太の愛情を感じ、そして同時に心苦しくなる。
啓太と同じ年頃の恋人同士とは違う自分達の時間に、啓太が無理に付き合っているのだと思うのだ。
初夏の強い日差しを少し避けた木陰にレジャーシートを敷いて、2人は腰を下ろす。
太陽は既に中天に差し掛かり、時刻が昼に近い事を示していた。
啓太はいそいそと和希の手からお弁当の包みを取り上げて、不格好なサンドイッチを並べる。
「わざわざ作らなくても良かったのに」
どう見ても手こずった様子が伺える料理に、和希は苦笑した。
「悪かったな、不味そうで」
「ソウイウコトじゃないけどさ。来る途中にコンビニもあったんだから、啓太が大変な思いするくらいならそれでも良かったのにって言ってるんだよ」
和希から見れば、2人が一緒に楽しめる事こそ最優先事項であり、お弁当を用意する事で啓太の楽しみが半減したのではないかと考慮しての言葉だったが、啓太は自分の不慣れな料理よりも、統一されていたとしても外の普通に食べられる味がいいと言われた気になった。
「俺、買ってこようか?」
公園の入り口にあるコンビニまでなら5分もあれば辿り着く。
ソレで和希がこの場を楽しめるのならと、啓太は一旦広げかけたお弁当を片付けつつ提案した。
「なんでそうなるんだよ。折角啓太が作ってくれたのに」
危うく袋の中に戻されそうになった包みを、和希は慌てて取り上げる。
「…別にいいよ、気を使わなくても」
「気を使ってるのは啓太だろ?」
お互いの想いが交差して、啓太の機嫌が降下する。
だが和希はそんな啓太の姿も愛しく感じた。
全てが、和希の為。
人より優れた物質的環境に居る和希は、人の半分も精神的に恵まれた環境は与えられてこなかった。
不格好で不味そうなサンドイッチなど見た事もなく、また苦労して作ったであろう料理を簡単に下げようなどとする人を見た事はなかった。
自分の一言が啓太の機嫌や行動を決めるという事を痛感して、和希は心の中で反省をする。
(もっと言葉に気をつけないとダメなんだな)
全てが優れた物質で埋め尽くされてきた和希にはこの手の環境に対応するボキャブラリーは少なく、改めて自分の中の欠落した部分を認識した。
反省する和希の横で、啓太は水平線を見つめながら溜め息をついて口を閉ざす。
啓太には今日の外出が自分の為であると言う事が解っていた。
啓太とて社会で働くという大変さは想像の範囲であろうとも理解していた。
その上、和希はただ単に社会で働いている訳ではない。
普通のサラリーマンの何倍もの仕事量と、責任。
普段啓太の前では見せないように和希は努力していたのだが、ふとした瞬間…教室で授業を受けている最中にノートを取る為に人から表情を隠した瞬間に、疲れた表情を覗かせてしまっていた。啓太はたまたまソレを見てしまっていたのだ。
それ以降、啓太は日頃から和希の体をそれまで以上に思いやるようになり、また心を痛めていた。
もし、幼い頃に自分があんな我がままを言わなければ。
そして今、「もういいよ」の一言が言えれば。
和希のこの状況はもう少し改善されるのだ。
啓太とて当然もっと和希と出かけたいと言う欲求はある。
もしかしたら「もういいよ」と啓太が言い、和希が仕事に専念するようになれば、2人で出かけられる機会は増えるのかもしれない。
だが啓太は和希との外出よりも、2人で過す学生生活を取った。
だれよりも近くで、好きな人を見ていたいから。
だれよりも近くで、愛する人に自分を見つめていて欲しいから。
空いた時間を離れていた時間の穴埋めのように使われるよりも、日頃から自分をを気にして生活して欲しい。
強欲な自分に、啓太は溜め息を付く。
免罪符ではないけれど、せめて和希に心だけでも穏やかに過して欲しいと思うのだ。
(もっと和希の好みを理解しなきゃダメなんだな…)
端々で和希が普通の家庭の味に飢えていると感じていた啓太は、自分の為の外出であろうとも、和希にも楽しんでもらいたいと計画した手作り弁当だった。
だがそれが失敗だったと思った時、知らずに溜め息が溢れた。
2人の沈黙を破ったのは、和希のサンドイッチを食べた音だった。
サクッと軽い音を立てたそれは、啓太が朝食後から取りかかったカツサンドだ。
「あ…美味い」
いかにも『意外』といった風情の声に、啓太は振り返る。
和希の顔はお世辞を述べているモノではなく、驚きと感嘆に彩られていた。
だが作っていた時に想像していた何時もの花が綻ぶ様な笑みが添えられていなかった事に、啓太は不安を覚えて重ねて問う。
「…マジ?食える?」
日々はいつも同じ学食のメニューを食している和希だが、一歩外へ出れば啓太が想像出来ない様なメニューを口にしているだろう和希に、恐る恐る啓太は尋ねる。
「食えるって…いや、ホントに美味いって」
一見感動していない様な表情の和希は、実のところ何時もの何倍も喜んでいた。
和希が喜ぶ時は、先ず状況を判断して「ココは喜ぶ所」と意識して表情を作っていたのだと、啓太も何となく解っていた。
それが今、表情を繕う前にぽろりと溢れた言葉は、殆ど聞く事のない和希の本心で……。
途端に上機嫌になった啓太は、和希に習ってサンドイッチにかぶりつく。
キャベツのカットは啓太の技量の範囲での細さだったが、カツは実のところ啓太の得意とする台所仕事だった。
ソースをかけ過ぎたのではないかと少し心配していたのだが、啓太の舌にも普通に食べられるモノとして認識されたカツサンドに、機嫌は更に上昇する。
まあ贅沢を言えば、やはりキャベツはもう少し細く切りたかったと言った所か。それとパンに挟むカツの量を均一にしたかった。
「啓太、料理出来たんだ?」
『得意料理は?』との質問に『たまごかけご飯』と答えた人物の制作した物とは思えない出来映えに、和希は至極当然の質問をする。
「いや、別に料理が出来る訳じゃないよ。ただ揚げ物だけは実家に居た時にやらされてたから出来るだけ」
啓太の言葉に和希は啓太の家の教育方針なのかと興味津々で続きを待つ。
だが、その理由はもっと単純な物だった。
「母さんが揚げ物だけは嫌がってさ。父さんと俺が食べたい時には自分達でやるしかなかったんだよ」
「お母さん…揚げ物嫌いだったのか?」
「いや、嫌いなんじゃなくて、顔に油が跳ねそうで恐くて作るのがイヤだって言ってただけ。俺達が作れば普通に食ってたよ」
「成る程…」
一般家庭の者が聞けば「なんだそりゃ」な理由なのだが、日々の食事を母の手料理で育ってこなかった和希には普通に聞こえたらしい。
普通に納得した和希に、啓太は小さく笑った。
そして改めて水平線を眺める。
休日にあまり浴びる事のない強い日差しの中、和希と2人で日頃口の端にも上らない様な話をする。
やはり出かけるという事は楽しいと思った。
日々では発見出来ない様な相手の事を知り、それについて後日に至るまで考える。
それは、啓太だけの考えではなく。
サンドイッチの一つを食べ終えて二つ目に手を伸ばしている和希も同じ事を考えていた。
今回は急場で学園からほど近い海浜公園だが、もう少し遠くに足を伸ばすのも楽しいだろうと。
この時間がもっと長くあれば、それだけ相手の事を発見出来るのであろうと。
その時には、また啓太にこのサンドイッチを作ってもらおうとも考えて………
「…来月休みが取れたらさ、今度は山の方に行かない?」
「山、いいね。毎日海ばっかり見てるしね」
「ホテル予約してさ、一泊でもいいからゆっくりしよう」
「一泊ってゆっくりって言うのか?」
けらけらと楽しそうに笑いながら、啓太は次の外出に思いを馳せる。
当然それが必ず叶えられるとは思っていないけれど、それでも計画だけでも楽しいモノだ。
「…本気にしてないだろ」
啓太の殆ど変わらない表情に、和希は啓太の心を読み取る。
「いや、してるけどさ…予定は未定って言うだろ?」
「それを『本気にしてない』っていう以外になんて表現するんだよ」
少し拗ねた感じの和希に、啓太はまた笑う。
「見てろよ。絶対来月休み取ってやるからな」
「はいはい。期待してるよ」
2人の座っている芝生は初夏の強い日差しに負けずに青々と茂っていて、海から吹く強い風に時折その体を揺すらせる。
頭上の木々も同じように風とともに心地良い音楽を奏で、日々の雑然とした時間を払拭してくれた。
「けいたー、ねむい」
「じゃあ寝ろよ」
「でも俺が寝ちゃったら、啓太どうするんだよ」
「俺は和希の寝顔に悪戯書きして遊んでるから気にしないでいいよ」
「…絶対寝ない」
部屋の中と同じ会話をしていても、それは何処か甘くて。
夕方、通りがかりの外出していたクラスメイトにからかわれるまで、二人は風に吹かれながら、わざわざ出かけずとも出来たであろう会話をひたすら楽しんだ。
END
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