日常

2007.3.20up



 

「ハニー!!」
 朝一番の教室に、黄色い声が木霊する。
 朝のHRまで15分はあるこの時間は、生徒にとって一日の鋭気を養う為の時間だ。あるものは寝不足を解消する為に机に突っ伏し、またあるものは昨日の出来事を友人と話合い、そしてまたあるものは授業の準備に余念がない。
 そんな空気の中、響いた黄色い声に反応をするものは誰もいなかった。
「ああ、今日は一段と可愛いね!この広い世界でハニーと出会えた奇跡を僕は神様に感謝してるよ!」
 ある意味言葉の暴力だとは思うのだが、これまたそんな言葉に一々反応を示すものは教室にはいなかった。
 何故か。
 それは、『ハニー』と称される『伊藤啓太』が転校して来て以来、毎日繰り返されている光景だったからだ。
 啓太が転校して来て既に5ヶ月。毎日毎日繰り返されれば、最初は奇異な目と共に鳥肌を立てていた男子高校生も、いい加減なれるというものだ。そして最初こそ反抗していた啓太だったが、ここまでしつこく繰り返されれば、やはりいい加減慣れてしまうというものだ。もう既に、『この人物からはこういう言葉しか出ない』と思っている節もある。
 そしてその人物『成瀬』は、そんな事も計算に入れているのかいないのか。毎日台詞をグレードアップさせているのだが、そのグレードアップすら日課になってしまっている。
 だがそんな中。一人だけ騒いでいる人物がいる。
「なーるーせーさんっ!毎日毎日いい加減にして下さい!」
 クラスメイトに言わせれば『お前も毎日毎日よく飽きずにかまうよな』との事なのだが、『伊藤啓太』の恋人な立場の『遠藤和希』的には、慣れてしまったらオシマイだとの考えである。
「…今日もいるのかい、お友達君」
「当たり前でしょ!ここは俺のクラスでもあるんです!」
「教室はこんなに広いのに、何で君はハニーの傍にいるんだい?」
「啓太の隣が俺の席だからです!」
「席替えしてもらったら?」
「何でそんな事してもらわなきゃいけないんですか!」
「だって君、うるさいよ」
 当の啓太を置いて、二人はぎゃいぎゃいと騒ぎ続ける。そんな中、騒動の中心にいる啓太は、何も問題は起こっていないかの様に授業の準備をしていたりする。
 そして授業の始まる10分前には、一年レギュラークラスの教室にまた一人珍入者が現れる。
「おーい!啓太!」
 これまた『伊藤啓太』がお目当ての豪快な先輩であり、学生会会長の丹羽哲也は、啓太の傍で起こっている騒動には目もくれず、すたすたと啓太の机の脇に歩を進めた。
「お前、今日の午後暇だよな?」
「お早うございます、王様。…えっと、今日の午後ですか?」
「そ。放課後。学期終了間近で書類整理が大変なんだよ。手伝ってくれねぇか?」
 この会話を聞いているクラスメイトは、「あんたは学期終了間近じゃなくても書類整理に追われてただろ」との突っ込みを心の中で入れ、またもやそのまま流してしまう。だが、この『王様』との寒いあだ名を持つ3年生も、『伊藤啓太』が転校してくるまでは殆どこの教室に足を踏み入れる事は無かった。初めのうちこそクラスメイトも緊張をしたものだが、やはり5ヶ月も経てば慣れてしまうのだ。
「放課後一番で進路相談があるんで、その後で良ければ行きますよ」
「サンキュー!恩に着るぜ!…っと、そろそろ予鈴だな。オイ成瀬、遠藤にかまってもらうのもそろそろ切り上げて、自分のクラスに戻れ」
「誰が誰にかまってもらってるんですか。大体僕はハニーに…あ、ハニー!今日のお昼はお弁当作って来てるから一緒に食べようね!」
「はーい。いつもごちそうサマです成瀬さん」
 いつもの騒がしい景色は、毎日同じ時間に鳴る予鈴によって、いつもの如く切り上げられる。
 そして、いつもの授業。
 更に、いつもの休み時間。
 たかだか10分の授業の間の休憩時間に、教室にはハートマークが振りまかれる。
「けいたぁ。今日のお昼は二人っきりで食べようよぅ」
「ダーメ。成瀬さんが折角作って来てくれたお弁当が勿体ないだろ?」
「最近そんな事言ってずーっと二人っきりになれないじゃないか。啓太は俺と二人っきりはいやなのか?」
「和希とは毎日夜には二人っきりになってるじゃないか」
「俺は昼も啓太と二人っきりになりたい」
 お前等には恥も外聞も無いのか!との突っ込みを入れたくなるこの会話は既に当たり前の光景で、誰一人関心を寄せるものは居ない。その上二人の距離が5cmしか離れていない事もまた、当たり前の事なのだ。



 教室の前を移動教室のクラスが通りかかる。
 そこでまた、教室のドアの所から声がかかる。
「伊藤君」
 静かな様でいて存在感のあるその声は、やはり『伊藤啓太』が転校してくるまでは『こんなクラスには用はない』とばかりに一度たりとて顔を見せた事の無かった紅のネクタイの銀髪の人物。
「ああ、七条さん。こんにちはー」
 それまで5cm離れていた距離がとうとう0になり、背後に公然の恋人を背負ったまま当の『伊藤啓太』はのんびりと挨拶をする。
「おやおや。今日も大きな子供のお世話、大変ですね」
「大変じゃないですよー。最近は背中に和希が居ないと、なんか忘れてる気がして気持ち悪いんですよ」
 なんだかもう、色々突っ込みどころがある筈なのに何も突っ込みたくない会話と状況は、やはり「いつもの事」であり、クラスメイトは各々自分の動きを止める事は無い。
「ああ、そうそう。今日ちょっと用事で外に行くんですよ。伊藤君もご一緒にいかがですか?」
「あー、すみません。朝、王様と約束しちゃいました」
「おや。先を越されましたね。では今夜、郁の部屋にいらして頂けませんか?美味しいケーキを買ってくる予定なんです」
「えー!良いんですか!?」
「お誘いしているのは僕と郁ですよ。良いも悪いも無いです。ああ、遠藤君も一緒で良いですよ」
「…それはどうも」
「では、また夜に」
「はーい。楽しみにしてまーす」
 笑顔で先輩を見送る啓太と、不貞腐れ顔で啓太の背後から手を振って見送る和希の姿も、誰も気に留めるものは居ない。
 この時点で、伊藤啓太の本日の予定は全て埋まった。昼、放課後、夜と、余す所なく。その事に付いても、誰も何も言うものは居なかった。誘う人は微妙に違えど、略毎日繰り返されている事なのだ。午前中にこれだけの来訪者がある事自体異常な状態の筈なのに、クラスメイトにとっては既に日常の一コマなのだ。


 そして、昼から騒動は開始される。
 まずは朝一番で約束を取り付けていた成瀬が、午前の授業の終了の合図とともに駆け込んで来て、和希と口論を繰り広げながら中庭へと啓太を連れ去り、午後の授業の終了の合図とともに、メガネの恐い学生会副会長が当たり前の顔をして啓太の鞄と本人を小脇に抱えて連れ出し、その後学内のあちこちを走り回る啓太を多くの生徒が目撃し、一年の入浴時間の筈の大浴場には各学年の有名人が集結し、啓太を囲んでぎゃいのぎゃいのと騒がしく風呂に入り、その後午前のラストに約束を取り付けていた七条がさりげなく啓太の手を取って、寮内一豪奢な部屋へと誘う。そして更に、点呼が終わった後には啓太の自室の扉は当たり前の様に恋人に向けて開かれる。
 人気者。
 その一言に尽きるのかもしれないが、学内の誰もがその状況をうらやむ事は無かった。
 一同に皆「大変だな」との視線を啓太に送り、そして毎日そのスケジュールをこなしている啓太に向かう視線は、「人の能力は目に見えるものだけじゃない」との認識を強くさせるものだった。
 そして、そんな人の日常を見慣れてしまった学生達は、自分が秀でていると思っていた自意識の改革を余儀なくされ、改めて自分と向き合う事になる。そんな事を考えると啓太の日常というものは、学生の成長にもの凄く貢献しているのであるが、当然本人にその自覚はなく。啓太自身は日常的に「何の能力も無い自分が、この学園につりあうのであろうか」と、悶々と悩むのであった。

 

 

 

END


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